性相学

その2
太田氏のエッセイに刺激を受けて、能と唯識を考察した、岡野守也氏は、両者の関係を更に補強している。氏は「江口」という能の次のような個所を引用する。
 それ十二因縁〔じゅうに・いんねん〕の流転〔るてん〕は車の庭に廻るがごとく、鳥の林に遊ぶに似たり(ここまでは〔貞慶作ともいわれる法会用の声明〕『六道講式』による)前生また前生、かつて生々の前を知らず、来世なお来世、さらに世々の終わりを弁〔わきま〕ふることなし。或るひは人中天上〔にんちゅう・てんじょう〕の善果を受くといえども、転倒迷妄〔てんどう・めいもう〕して未だ解脱の種を植えず、或るひは三途八難〔さんず・はちなん〕の悪趣に堕して、患〔かん〕に障〔さ〕へられて既に発心の媒〔なかだち〕を失ふ、しかるにわれらたまたま受け難き人身〔にんじん〕を受けたりといえども、罪業深き身と生まれ(以上は〔貞慶の真作〕『愚迷発心集』による)、ことに例〔ためし〕少なき川竹の流れの女〔=遊女〕となる、前の世の報ひまで思ひやるこそ悲しけれ(岡野守也『能と唯識』1994、pp.81-82、〔 〕内私の補足)
岡野氏は、これに関して、こう述べている。
 私は思わず「これだ」と思ったのは、この節である。冒頭は『六道講式』、「前生また前生・・・」以下は『愚迷発心集』を出典としており、どちらも貞慶の作であることは、すでに指摘されている。…そして貞慶を引用しているということは、すなわち観阿弥(あるいは世阿弥)が興福寺教学―唯識を核とした顕密仏教の教えーを多かれ少なかれ学んでいたことのまぎれもない「物証」である。...状況証拠と合わせて考えると『江口』が多かれ少なかれ興福寺・貞慶の教えを布教する劇という性格を帯びていることは、もう疑う余地はないのではないだろうか。(岡野守也『能と唯識』1994、pp.82-89)
岡野氏は、他の能にも触れて、こう指摘している。
 それ前仏〔ぜんぶつ=釈迦〕はすでに去り、後仏〔ごぶつ=弥勒〕はいまだ世に出でず、夢の中間〔ちゅうげん〕に生まれ来て、なにを現〔うつつ〕と思ふべき、たまたま受け難き人身を受け、逢ひ難き如来の仏教に逢ひ奉ること、これぞ悟りの種なると…..
これも『愚迷発心集』と『六道講式』の組合わせによるものである。すなわち『卒塔婆小町』〔そとば・こまち〕でも、貞慶の著作が「この世は夢幻の如し」と捉える発想の典拠になっているのだ。(岡野守也『能と唯識』1994、p.95,〔 〕内私の補足)
恐らく、物的証拠は、岡野氏の指摘通りなのであろう。氏の著書には、面白い由来話も載っているので、是非紹介しておこう。
 〔春日大社の〕どっしりとした鳥居をくぐると、右手に一本の老松があって、そこに〔薪能の〕由緒を書いた札が立てられている。教円という学僧が毎朝、その松の木の下にやってきて、唯識の基本経典である『唯識三十頌』を唱えていた。ある日、空から老人がやってきて、松の枝にとまり、舞いを舞った。僧が驚いて尋ねると、自分は春日大明神である、貴僧が『唯識三十頌』を唱えてくれるのが嬉しくて、喜びのあまり舞いを舞ったのだと告げた。それが能の始まりだという伝説である。能舞台の正面の鏡板に描かれている松は、こうした由来によるという説もある。このエピソードは歴史学的には根拠がないとされ、最近のアカデミックな能の歴史の研究書には紹介されないが、伝説としてはなかなか味わいが深い。(岡野守也『能と唯識』1994、まえがき、p.9)
私も味のある話だと思う。こういった伝説の類が、真実を突いていることはままあるもの
なのである。


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