「倶舎論」をめぐって

CXIII
さて、舟橋博士の薀蓄を、適宜、見ていこう。博士は、『倶舎論』とそれ以前の説一切有部を、明確に分けて、次のようにいう。
 有部に於ける聖典、其数甚だ多きも、よく有部の教義を大成したるものは大毘婆沙論二百巻なり。世親は之と経量部及び其他の思想とを比較研究し、真理のある所に依りて、盛に自由討究を試み、かくて有部の教義を完成せり。倶舎論三十巻即ち是なり。されば有部と倶舎とは、教義上多少の差ありて、一概に之を論ず可からずと雖、倶舎の前身は即ち有部にして、有部の変形は即ち倶舎なり。有部は毛虫にして倶舎は蝶なり、有部の醜き毛虫も、世親の研鑽改善に依りて、美しき倶舎の蝶とはなれり。倶舎の研究に従事せんと欲するもの、須らく先ず有部の教義に通暁せざる可からず、而して後に有部と倶舎との関係を見、かくて唯識に進むの経路を知るは、吾人の最も興味ある点なりとす。(舟橋水哉『倶舎の教義及び其歴史』昭和15年付録「倶舎小史」p.2,1部現代表記に改めた)
ここには、『倶舎論』の思想的背景に『大毘婆沙論』を見るという、極オーソドックスな見解が示されているが、言い換えると、『倶舎論』を正確に理解するためには、『大毘婆沙論』が不可欠であることを強調しているのである。確かに、両方を知らねば、確かなことはいえないだろう。最早、漢文読解能力を失った我々には、不可能な要求だが、舟橋博士の時代には、当然のことだったはずである。

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