仏教余話

その56
服部博士は、このインド的思考法を、以下のように、高く評価している。
 神秘思想の根底には神秘体験―絶対者と自己との合一の体験があることはいうまでもない。その体験が神秘主義の核心であるが、それが反省的に思考されるときに神秘思想が形成される。神秘主義という語から、当節流行のオカルティズムを期待されることのないように、初期ウパニッシャドの神秘主義をここに素描しておくこととしたい。神秘主義は「神、最高実在、あるいは宇宙の究極根拠などとして考えられる絶対者を、その絶対性のままに自己の内面で直接に体験しようとする立場、そしてその体験によって自己が真実の自己となるとする立場」(小口・堀監修『宗教学辞典』)と定義づけられている。それは神を自己を超えた他者と表象し、神に帰依し、神の恩寵・救済にあずかろうとする立場とは本質的に異なっている。他者として表象される人格神に対する信仰は、後代に普及するヒンドゥー教において顕著になるが、初期のウパニッシャドには、神への誠信、神の恩寵の観念は未だあらわれず、アートマンとブラフマンの合一の思想がその核心をなしている。(服部正明『古代インドの神秘思想 初期ウパニッシャドの世界』昭和54年、pp.35-36)
服部博士は「当節流行のオカルティズムを期待されることのないように」と述べ、梵我一如とオカルティズムを区分しようとする。しかし、梵我一如はオカルティズムそのもの、神秘主義そのものなのではないだろうか?

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