「倶舎論」をめぐって

LX
さて、この『真実義』という注釈は、かなり後代にチベット訳された。そのためか、他の『倶舎論』注が、すべてチベット大蔵経の「阿毘達磨」(mngon pa,ゴンパ)部に収録されているのに、これだけが雑(sna tshogs,ナツォク)部に分類されている。江島恵教博士は、このテキストの奥書きに記された内容を和訳紹介して、この間の事情を明らかにした。(江島恵教「スティラマティの『倶舎論』註とその周辺―三世実有説をめぐってー」『仏教学』19,1986、pp.23-24の注4に訳がある)江島博士の説明をかいつまんで記してみよう。
チベットにおいては、中国の場合よりも時期的には相当遅れて、プトゥン(Bu ston rin po che一二九○-一三六四年)によってスティラマティの『倶舎論』注のタイトルが『雹雷光』〔ばくらいこう〕(gNam lcags thog zer)〔ナムチャクトクセル〕であることが認められていながら、チベット語訳される機会を失している。しかし、十五世紀後半から十六世紀初頭の時期になって、これがやっといちおうチベット語訳されるに至る。…現在伝えられているチベット語訳本は、…部分的に欠落のあるサンスクリット本によりながら、しかもサンスクリットの理解に充分な自信を抱きえないダルマパーラバドラ(Dharmapalabhadra一四四一―一五二八年)が苦労しながらチベット語に移そうとして、成立したということが明らかである。(江島恵教「スティラマティの『倶舎論』註とその周辺―三世実有説をめぐってー」『仏教学』19,1986、p.6,〔 〕内は私の補足)
かなり苦労した訳業であることが伺えるのである。実際に、テキストに目を通すと、解読は容易でない。現在では、大分研究も進み、秋本勝氏によって、「三世実有論」の部分がチベット文字をローマ字化したテキストと共に、和訳されている。秋本氏は、『倶舎論』本文、ヤショーミトラ注の「三世実有論」の訳も行い、一貫してこのテーマを追求している。氏にして、初めて、スティラマティ注のような解読困難なテキストも読解出来るのである。これにサンスクリット語原典が加わると一層の研究成果が上がると思われる。

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