「倶舎論」をめぐって

XXXV
現代の『倶舎論』研究をリードしてきた、櫻部建博士は、同書の構造を次のようにいっている。
最初の二章について、普光は、右図に示したように説明しながらも、また、界品が諸法の体を明かすとは「多分に従って」いうのであってそれが用を明かす点もあると認められるし、根品が諸法の用を明かすとはやはり「多分に従って」いうのであってそれが体を明かす点もあると認められる、と述べている。ヴァスバンドゥは、この「界」「根」二章をもっていわゆる「法の理論」、すなわち五位七十五法の体系とそれら諸法の生滅・因果の原理と、を明かそうとするのであり、それが『論』の第一部いわば「原理論」として、第三章以下の「実践論」と呼ぶべきものの、基礎になる。第三―第五章は、『論』の第二部として、有漏、すなわち迷いの生存の種々想とそれをもたらす因由、を解説し、第六―第八章は、同じく第三部として、無漏、すなわち迷いを離れて悟りに至る道程とそれに伴う智や徳、について解説する。第二部・第三部をあわせてそれを「実践論」と考えることができるが、それは第一部「原理論」によって支えられている、あるいは裏づけられている、と見るべきである。(桜部建『仏典講座18 倶舎論』昭和56年、pp.21-22、太字は私)
また、往年の『倶舎論』学者、舟橋水哉博士は、以下のように述べる。
 倶舎論は之を界、根、世間、業、随眠、賢聖、智、定、破我の九品に分つ。界根二品に於て七十五法論と因果論とを記し、世業随の三品に於て輪廻論を、賢智定の三品に於て解脱論を述す。七十五法論と因果論とは本書の総論にして、輪廻論と解脱論とは各論なり。又前者は哲学的方面にして、後者は宗教的方面なり。而して破我品は実に此が結論と見るべき者なり。(舟橋水哉『仏教体系 倶舎論第一』大正9年、pp.1-3,1部現代表記に改めた)
更に古い解説書も見てみよう。斎藤唯信氏による、明治31年の概説書には、以下のようにある。
光記寶疏…等ニ具ニ之ヲ説ク、今其意ヲ取リテ之ヲ明カサハ大ニ分テ二大段トナル、初メノ界品等ノ前八品二十九巻ハ諸法ノ事ヲ明カシ、後ノ破我ノ一品ハ無我ノ道理ヲ説ク、其諸法ノ事ヲ明カス中又二段ト分レテ初メノ界根二品ハ總ジテ有漏無漏ノ法ヲ明シ後ノ世間品已下六品ハ別シテ有漏無漏ノ法ヲ明ス、其總ジテ有漏無漏ノ法ヲ明ス中、初ノ界品ハ諸法ノ躰ヲ明シ、後ノ根品ハ諸法ノ用ヲ明ス、又其別シテ有漏無漏ヲ明ス中、初メ世間品已下ノ三品ハ有漏ヲ明シ、後ノ賢聖品已下ノ三品ハ無漏ヲ明ス、其有漏ヲ明ス中、初ノ世間品ハ有漏ノ果ヲ明シ、次ノ業品ハ有漏ノ因ヲ明シ、後ノ随眠品ハ有漏ノ緣を明ス、又其無漏ヲ明ス中、初ノ賢聖品ハ無漏ノ果ヲ明シ、次ノ智品ハ無漏ノ因ヲ明シ、後ノ定品ハ無漏ノ緣ヲ明ス(斎藤唯信『倶舎講義』,pp.8-9、太字は筆者。他の概説書の記載も、網羅的に収集すべきなのだろうが、手近な範囲で、紹介した。斎藤唯信氏の概説書、『倶舎講義』は、近代デジタルライブラリーというサイトを通じ、ネットでも披見可能である)
先学の説明は、現代的な表現を使っている場合もあるとはいえ、主に、中国撰述の『倶舎論』注をベースにしているようである。以下では、先ず、それらの代表的注から、『倶舎論』の構造を説く個所を、適宜、引用してみよう。櫻部博士が、名を挙げた、普光の『倶舎論記』では、次のようにいう。
 この論1部は、全9章である。…前の8章は、諸ダルマの事を明らかにする。…後ろの1章は、無我の理屈を説明する。…前の8章中、初めの2章は、総論的に、有漏・無漏を明らかにする。後の6章は、各論的に、有漏・無漏を明らかにする。…〔第1章〕「界品」は、諸ダルマの本体、…〔第2章〕「根品」は、諸ダルマの作用…〔第3章〕「世品」は、有漏の結果を明らかにし、…〔第4章〕「業品」は、結果を得る原因を明らかにし、…〔第5章〕「随眠品」は、業の動機を明らかにし、…〔第6章〕「賢聖品」は、無漏の結果を明らかにし、…〔第7章〕「智品」は、悟りの原因を明らかにし、…〔第8章〕「定品」は、智の対象を明らかにする。
此論一部總有九品。…前八品明諸法事。…後一品釋無我理。…就前八品中。初二品總明有漏無漏。後六品別明有漏無漏。…界品諸法體。…根品諸法用…世品明有漏果。…業品明感果之因。…随眠品明業之縁。…賢聖品明無漏果…智品明證果因。…定品明智乃縁。(普光『倶舎論記』大正新脩大蔵経、No.1821,1c/10-2a16)
各先学もこのような普光の解説を敷衍しているのであろう。次に、法寶の『倶舎論疏』では、以下のようにいう。
 この論1部は、全9章である。前の8章は、自説の意味を述べ、本々の頌を注釈している。故に、先に明らかにする。後の1章は、注釈の際、加えたもので、他の固執するものを論破したので、故に、後で説いたのである。8章中、初めの2章は、〔有〕漏・無漏を総論的に明らかにする。故に、先に明かにした。後の6章は、〔有〕漏・無漏を各論的に明らかにする。故に、後で説いたのである。前の2章中、「界品」は、諸ダルマの本体を明らかにする。故に、先に明らかにした。「根品」は、諸ダルマの作用を明らかにする。故に、後で説いた。本体が基盤であるからである。…後の6章中、前の3章は、有漏の因果を明らかにする。後の3章は、無漏の因果を明らかにする。
 此論一部總有九品。前之八品述自宗義釋本頌文。所以先明。後一品、造釋時加破外執故、
所以後説。就八品中、初之二品、通明漏無漏、所以先明。後六品別明漏無漏、所以後説。前二品中、界品明諸法體、所以先明。根品明諸法用、所以後説。體是本故。…後六品中、前之三品明有漏因果。後三品明無漏因果。(法寶『倶舎論疏』大正新脩大蔵経、No.1822,459b/29-459c/9)
法寶の説明は、普光と文言の違いはあるけれど、趣意は同じであろう。更に、圓暉の『倶舎論頌疏』も見てみよう。こうある。
初めの2章は、有漏・無漏を総論的に明らかにする。後の6章は、有漏・無漏を各論的に明らかにする。総論が基本である。故に、先に説く。総論に依存して、各論を解説する。故に、後に説く。総論を明らかにする中で、初めの「界品」は、諸ダルマの本体を明らかにする。「根品」は、諸ダルマの作用を明らかにする。この本体が、その〔作用の〕基盤である。故に、先に説いた。本体に依存して、作用は起こるのである。だから、次に根を明らかにしたのである。各論の6章中、初めの3章は、有漏の各論を明らかにする。後の3章は、無漏の各論を明らかにする。
 初二品總明有漏無漏、後六品別明有漏無漏、總是其本、所以先説、依總釋別、所以後説。就總明中、初界品、明諸法體、根品明諸法用、體是其本、所以先説、依體起用、故次明根。就別六品中、初三品別明有漏、後三品別明無漏。(圓暉『倶舎論頌疏』、大正新脩大蔵経、No.1823,816a/16-22)
圓暉も、基本的に、普光、法寶と同じ解説をしている。中国撰述の著名なる三注釈は、『倶舎論』の構造を同じように捉え、それが、現代日本の研究者に踏襲されていようである。漢訳資料を中心とするのが、日本の伝統的な『倶舎論』研究であるとするならば、それも当然のことであろう。

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