Tips of Buddhism
No.68
The calmness and gentleness with which the Hindoo Philosophers approach and discourse on forbidden themes is admirable.(requotation from「米国田舎だより」『鈴木大拙全集』別巻一、昭和46年、p.197)
(訳)
ヒンドゥーの哲学者達が、落ち着きと穏やかさを以って、禁忌(きんき)のテーマに迫り論ずるのは、見上げたものだ。
(解説)
これは明治38年(1905年)ソローの手帳から鈴木大拙が英文を抜粋(ばっすい)したものである。鈴木の本から、その英文を孫引きしてみた。『ウオールデン』は有名なので訳書は多いが、ソローの手帳となるとぐんと少ない。短い英文ではあるが、触れる機会の少なさから、紹介してみた。この文章からも知れるように、ソローは東洋思想に深い関心を寄せ、独自の思想を
形成していった。飯田実氏の訳書から、その一端(いったん)を引用してみよう。
諸国民は建築物によってではなく、抽象的(ちゅうしょうてき)能力(のうりょく)によってこそ、その名を後世に伝えようとすべきではあるまいか?東洋のあらゆる遺跡(いせき)よりも、〔インドの聖典〕『バガヴァッド・ギーター』のほうがどれほど賛嘆(さんたん)に値することか!塔や寺院は王侯の奢(おご)りである。
簡素(かんそ)と独立を尊(とうと)ぶ精神の持ち主は、王侯(おうこう)の言いなりに働くものではない。
(飯田実訳『森の生活 ウォールデン』上下、岩波文庫、2016、p.104、ルビ・〔 〕私)
飯田氏は、あとがきで、さらにソロー達の思想について、こう述べている。
超越主義(transcentalism)という言葉は、元来、カント哲学のTranszendentalismusに由来するが、〔ソローが属する〕コンコード・グループによるこの用語の定義は、さほど厳密(げんみつ)にカント哲学に従っていたわけではない。むしろ「実在を認識するにあたって、客観的経験よりも詩的直観的洞察力(どうさつりょく)を重視する態度」といった意味で、かなり漠然(ばくぜん)と用いられていた。彼らの多くは、英国の詩人批評家コールリッジや思想家カーライルの著作を通して、ドイツ観念論哲学のある一面を選択的に吸収していた、というのが通説になっている。(飯田実訳『森の生活 ウォールデン』上下、岩波文庫、2016、p.316,〔 〕・ルビ私)
コンコード(Concord)とは、マサチューセッツ州のソロー達の住んでいた場所。その1派は、超絶主義者などと世間から呼ばれていた。齋藤光氏は、次のように言う。
・・・超越主義者と言われる大部分の人びとは、その生き方が当時としては変わっていたために、彼らの思想を理解できない世間の人びとから白眼視(はくがんし)されていたわけだが、彼らの思想を多少とも理解できる知識人のあいだではエマソン〔R.W.Emerson,1803-1882〕とソローは、自然(しぜん)観照(かんしょう)と自然についての思索によって、精神の問題を追及しようとした〔とされていた〕。・・・自然という視点を持つことのできたのは、ほかの超越主義者には見られないエマソンとソローの強味(つよみ)であった。(斎藤光『アメリカ古典文庫17、超越主義』1975,pp.8-19、ルビ私)
東洋思想への関心についても、同書は述べている。
物質主義の支配的なアメリカに住む者として、東洋の古典にみられる静寂(せいじゃく)にひたる精神主義は魅力であったにちがいない。(斎藤光『アメリカ古典文庫17、超越主義』1975,p.22)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?