「倶舎論」をめぐって

XXIX
『倶舎論』の書誌学的考察にdharmaに関する最近の研究として、Journal of Indian Philosophy 32-5,6,2004,pp.421-750がある。『倶舎論』関連のものには、Collett,Cox:From Category to Ontology:The Changing Role of Dharma in Sarvastivada Abhidharma,pp.599-610がある。この雑誌の諸論文は、桂紹隆博士により「「ダルマ」に関する最近の研究成果」(1)(2)(龍谷大学アジア仏教文化研究センター、ワーキングペーパー)として抄訳紹介されて、インターネットで読むことが出来る。
 さて、上のように、文献史を簡単に辿ってみても、概して、日本の伝統的『倶舎論』研究はレベルが高いことが伺える気がする。それをよく示すのが、先に触れた佐伯旭雅の『冠導本阿毘達磨倶舎論』であろう。この書は、ヨーロッパの著名な仏教学者プサン(Louis.de la valle.Poussin)が『倶舎論』のフランス語訳をした時、参考にしたそうである。櫻部建博士は、この辺の実情をこう述べている。
 江戸時代の倶舎学の業績を承けて、それを集大成し、巧みに整理して示したのが明治に現われた佐伯旭雅の『冠導阿毘達磨倶舎論』である。ド・ラ・ヴァレ・プサンがその不滅の大作たる倶舎論全巻のフランス語訳をなすに当たって、この冠導倶舎論を多く拠りどころとしたのも、当然のことといえる。おそらくこのような形の註解は、インド以来の倶舎論学習の長い歴史の中で、かつて造られなかったし、今後も現われることはないであろうが、それを徳川期倶舎学の、あるいは広く徳川期仏教学の一大金字塔と呼んでも、けっして過大な言い方ではないと私には思われる。(櫻部建「アビダルマ論書雑記一、二(三)」『毘曇部第十四巻月報 三蔵』106、昭和50年、p.107)
また、著名な世界的学者、荻原雲来博士も、日本に関心を抱く、ヨーロッパの学問的動向を軽く伝えている。
 現に倶舎論研究の目的を以て遠く我国来遊中のモシュー、レヴィーの如き其の一人なり。蝸牛角上〔かぎゅうかくじょう〕兄弟鬩ぐ〔けいていせめぐ〕の仏子、煩瑣哲学に恋々たるの法孫、起つて世界の知識に寄与し、世界の幸福を助長するの勇気なきか。人或は宗教の歴史的研究を盛にするときは、之が為に聖典を蹂躙せられ、伝説を破壊せられ、信条を変更せられ、大に自己所宗に害あるを恐れ、此を曖昧に附し、俗に所謂「臭き物に蓋」の主義取るあり、咄〔とつ〕何等の癡見ぞ。(荻原雲来「印度仏教史綱要」明治31年『荻原雲来文集』昭和47年所収、p.141,〔 〕内私の補足)
荻原博士の文章は、時代を感じさせるものだが、国際的学者達の意気込みを伝えている。ところで、櫻部博士の賛辞は、決して大袈裟なものではない。私自身は、テキストとして本文を引用する位の使い方しか出来ない。しかし、その頭注などを拝見すると、重要な文献群の当該個所が示されていて、これを利用すれば、その効果絶大なことは推測出来るのである。
前に簡単に触れたが、ロシアのローゼンベル(Otto.Ottonovich.Rosenberg)という学者も日本に留学して『倶舎論』を学んだ話は有名である。例えば、昔の代表的『倶舎論』学者である舟橋水哉氏は、ローゼンベルグの留学に、こう触れている。
 加之最近露国の大学卒業生オットー、ローゼンベルヒ氏遠く我邦に来りて、東京に於て露訳倶舎論の著作に従事しつゝありといふは、斯学勃興の一端として、吾人は之が注意を怠る可からざる也。(舟橋水哉『倶舎の教義及び其歴史』昭和15年、付録「倶舎小史」、p.46)
彼については、「超越的ダルマ」の提唱者として、若干、触れたが、少しく、その事跡を追ってみよう。ドイツ系ロシア人で、ローゼンベルグ(Otto Rosenberg,1888-1919)という名である。彼は、早世したが、優秀な『倶舎論』研究者で、今日、猶、彼の著書『仏教哲学の諸問題』(Die Probreme der Buddhistischen Philosophie,Heiderberg,1924)は読み継がれているのである。彼は、世界的な学者シチェルバツキー(Th.Scherbatsky)の弟子に当たる。その事跡を、もう1度、簡単に辿ってみよう。

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