仏教余話

その230
残りの記述に、鎌倉在住の私には、随分と興味をそそる話があったので、以下、それを紹介しておこう。
 田舎者の東京行きは成効で無かったかもしれぬが、但し多少の獲物はあった。七月六日出発、其夕鎌倉光明寺前、中島館に投宿した。中島館は旅館の外に万屋と郵便局とを兼て居って、至ってじみな旅館である。十年ばかり前に安藤州一君と海水浴に来たことのあるおなじみの旅館であるから、懐旧の情禁じがたく、早速安藤君へ向けて鎌倉の絵葉書を送った。鎌倉はあまり変化して居らぬ様であるが、江の島行の電車ができて居るので大辺に助かった。此前の旅行には歩いたものであるが、此度は電車で七里ケ浜を通過し、間もなく江の島に着いた。岩本楼で昼食したが、設備の行届いて居ること、料理のよいこと、江の島売店の高尚な遊ばせ言には、田舎者もすっかり感心して仕舞った。鎌倉には二泊したけれども、天候宣しからざる為、海水浴のできなんだのは残念であった。八日朝東京に入る。東京の滞在は僅に五日、希望は多くて日数は少い、しかし思うて見ると仲々面白かった。東京へ入ったのは五年目である。道路が拡張されて、電車が沢山に通つて居る、乗換場所の多いのには随分困った。大正博覧会もざっと一覧したが、此前の博覧会と規模がよく似居る、衛生館などの加って居るのは殊によいと思った。田舎もノとしては大出来であったのは、二三の友人を誘って精養軒で夕食をしたことゝ、其から帝劇を見に行ったことゝである。帝劇が丸で天国の様に思われたことゝ、森律子の働きぶりのうまいのには、何れも感心の外は無かった。呉服屋では伊藤呉服店に入った丈である。豊山大学へは豊山の貴重書籍が来て居る、此を見るのが東京行の第一目的であった。八日すぐ様豊山大学を訪問して小林、富田、塚本諸氏に遇った。
  金毛倶舎論二十九巻五冊
 法住直筆の著であって有名なものであるが、しかし内容は其れ程でもないらしい。初の方は幾分委しいが終りの方は至って簡単になって居る。禅林寺目録に金毛倶舎論とあるのが恐らく是れだろうと思ふ。古来伝はり来れる法住の記と同異如何は今まだ不明である、何れあとから取調べて見よう。其他隆山の聞持記、恵隆の権衡、快道の妄伝折衡編等、見るべき者、少くは無かった。天台宗大学に寛永寺蔵本があるといほので行って見たが、散逸の為何も無いといふので見られなんだ。
  倶舎論世間品直談鈔五巻
 長善の著、此は帝大図書館蔵書の古写本であって、私所持の慶安写本から見ては少々古い様である。奥に
  正保四年九月吉旦、洛陽於智積院桃寮、求得之。
 とある。次に
  倶舎論図説一巻
 徳門述、表紙に東部駒込西教寺潮音師蔵本とあり、其が島田藩の蔵書となり、遂に帝大の書物となったのである。書物屋も四五軒漁って見たが、あまりよいものも無かった。其でも十部ばかり買求めた。外に元版蔵経一冊をも買求めた。朝倉屋に鎌倉版らしき般若心経秘鍵があって欲しかったが、可なり高価だから買はなかった。友人としては望月、中野、島地、花園、中根、寺田、外数氏を訪問したが、まだ外に訪ひたくて訪はずに帰って仕舞ったのも沢山にあった。一人旅でなかった為、見残された点がまだ沢山にあるけれども、却て再遊の機会を得たと思へば一向感謝の念に堪へぬ次第である。(舟橋水哉「倶舎を漁る記」『倶舎の教義及び其歴史』昭和15年所収、pp.265-268,1部現代語表記に改めた)
時代風俗も描写されていて、なかなかの記述になっているように思う。諸事万端のんびりしていた頃の『倶舎論』学者の優雅な研究の日々である。
 


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