「倶舎論」をめぐって

LXIX
ディグナーガが、どこに興味を示したか、については、福田琢氏がわかりやすく、以下のように説明している。
 すなわち陣那は破我品から①プドガラなくして仏が一切知とされる根拠、②命者についての経典の無記をめぐる解釈、③識と相続にかんする議論、④無我説における業因・業果の関連性という四つの主題だけを取りあげ、他を捨てているのである。①と②は犢子部〔とくしぶ〕③と④は仏教以外の学派に対する批判から採られている。(福田琢「書評・紹介 Marek Mejyor:Vasubandhu’s Abhidharmakosa and the Commentaries Presented in the Tanjur」『仏教学セミナー』6,1994,p.83)
犢子部(Vatsiputriya、ヴァーチープトリーヤ)とは、プドガラ(pudgala)というものを人格主体として認めたといわれる部派である。プドガラは、アートマンと変わるところがないと判断された。そのため、アートマン否定=無我を標榜する仏教において、犢子部は異端中の異端とされた。ディグナーガは、その犢子部出身という伝承がチベットに伝えられている。シチェツバツキーは、その伝承を次のように述べている。
 彼は、若い時、犢子部(とくしぶ)の先生によって、仏教に移り、彼から、戒律を受けた。この部派は、構成要素(=5蘊)とは異なるものとして、実在の人格を認めた。ディグナーガは、この点について、彼の先生と意見を異にして、僧院を去った。(Th.Stcherbatsky、Buddhist Logic、vol.1,p.33,ll.5-9)
服部正明博士もこの伝承に触れ、ディグナーガの『倶舎論』注の不可解な構成に言及する。
 ディグナーガと犢子部の関係は定かではない。..,しかしながら、ディグナーガの作品中に、我々は、犢子部批判を見い出していない。この部派の教義は、世親により、彼の『倶舎論』第9章〔破我品〕で批判された。ディグナーガは、世親のこの著作の綱要書を作した。『倶舎論要義灯明論』である。始めの8章では、ディグナーガは忠実に、世親の主要な議論を祖述している。…しかし第9章では犢子部説たるエゴ〔=プドガラ〕批判において世親が行ったほとんどの議論を削除している。そして、非本質的な若干の議論だけを取り上げている。もしディグナーガが犢子部に属し、後にその教義と絶縁したのなら、彼はこの部派のエゴ理論〔=プドガラ説〕の欠陥を暴くのにもっと真剣だったはずだろう。(Masaaki Hattori,Dignaga,On perception,Cambridge,Massachusetts,1968,p.2,ll.
7-24)

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