仏教豆知識

その5
その前に、このミイラ石頭大師についていくらか知識を得ておくと話は一層面白くなります。石頭大師は、石頭稀遷(せきとうきせん)と呼ばれ、本学の母体とも言える曹洞宗と深い関わりがあります。曹洞宗寺院で朝夕の勤行(ごんぎょう)で読まれるものの1つに、『参(さん)同(どう)契(かい)』という書物がありますが、その著者が石頭大師なのです。石頭大師の弟子は、洞山(どうざん)良介(りょうかい)と言います。その洞山の弟子に曹(そう)山本(ざんほん)寂(じゃく)がいます。洞山と曹山が中国曹洞宗を樹立します。それが天童如(てんどうにょ)浄(じょう)という人に伝わります。そして、道元が如浄の弟子となり、その教えを広めて、日本曹洞宗が誕生します。こう見てくると、石頭大師は曹洞宗にとって無視出来ない重要人物であることがわかります。ミイラがその石頭大師だとすると、放っておくわけにはいきません。そこで、以下の話へと続きます。
 実はこのように曹洞宗にとってかけがえのない石頭和尚が、日本ミイラ研究グループの研究室に眠っているのは勿体(もったい)ない、と当時の鶴見(つるみ)の総持寺(そうじじ)の首脳部(しゅのうぶ)が考えたというわけある。・・・当時、毎日新聞東京本社第二事業部長だった筆者の職場に、突如として現れた黒(くろ)染め(ぞめ)の衣(ころも)をきた十数名、乙(おと)川副(かわふく)貫(かん)主(しゅ)とその侍従(じじゅう)たちである。・・・然(しか)も、その御来訪は、一再ならず・・・。結局、ミイラは「伝・石頭和尚」として大本山総持寺に永久に祀られることになった。昭和五十年八月十八日のことである。(松本昭『日本のミイラ仏』昭和60年、pp.206-207)
このような顛末(てんまつ)でこのミイラは今も総持寺にあります。ウイキペディアで石頭稀遷を検索すると、以下のようなコメントが付されています。
 曹洞宗大本山総持寺には石頭のものとされるミイラが安置されている(非公開)(2019/08/13)
いささか奇妙な話題に触れてみました。

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