仏教余話

その85
斉藤博士が、度々、取り上げる「自性」にしたところで、その用法自体が、伝統仏教と中観派では、相違している可能性もある。そうした場合、中観派に有利な「自性」解釈で、論が運ばれているとも推測出来るのである。我々は、知らないうちに、大乗側に加担して、伝統側の意見を虚心に聞く作業を看過しているかもしれないのである。その点も加味した斉藤博士の見解も、合わせて見てみよう。博士はいう。
 『中論』の著者としてのナーガールジュナは、現在知られるかぎり、大乗仏教における最初の論師である。ただし、かれがインド仏教思想史において果たした役割については、少し広い視野から再考する必要がある。近年では、ナーガールジュナを大乗仏教徒と呼ぶことそのものに疑義を抱く研究者もいる。…ナーガールジュナは、遅くとも五世紀初めには「中論」と呼ばれていた主著の作者であることに相違はない。しかしナーガールジュナ自身は『空七十論』および『廻諍論』のなかで「空性論者」(Sunyatavada)を自認しているものの、「中観派」(Madhyamika/dBu ma pa)の呼称は用いていない。…現在知られている文献によるかぎり、「中観派」-厳密には中[道]派や中[道]論者」(dBu ma smra ba=*Madhyamaka-vadin)―を自称した最初の論師はバーヴィヴェーカである。かれはナーガールジュナの二真理説を掘り下げ、当時、大乗仏教思想として大きな影響力を発揮していた唯識学説、とくに三性説と唯識無境説を批判するなかで、非有非無の中道の立場とその意味を論じながら、学派としての「中観派」を創始した。第三の注目すべき点は、瑜伽行唯識学派に属する諸論師と『中論』の関係である。アサンガ(無着、三九五~四七○頃)およびスティラマティ(安慧、五一○~五七○頃)は、それぞれ『順中論』および『大乗中観釈論』と題する『中論』に対する注釈を著し、ダルマパーラ(護法、五三○~五六一)はまた『四百論』の後半部分に対する浩瀚な注釈(『大乗広百論釈論』)を残している。(斉藤明「中観思想の成立と展開―ナーガールジュナの位置づけを中心として」『シリーズ大乗仏教6 空と中観』2012所収、pp.11-15)
斉藤博士のいうように、ナーガールジュナという大乗仏教の元祖のような人物でさえ、その実態は、尚、不明なのである。例えば、こういう指摘を耳にすると『中論』の作者ナーガールジュナ(龍樹)の印象はどうなるだろうか?かつてA.K.Warderが指摘したように、般若経をはじめとする大乗経典への直接的な言及を見いだすことは極めて困難である。(桂紹隆「『中論頌』の構造」『印度学仏教学研究』61-2,平成25年、p.897)
従来の解説では「ナーガールジュナ(龍樹)は大乗仏教の開祖であり、般若経の空に理論的基盤を与えた」などといわれてきたが、それも怪しいのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?