新チベット仏教史―自己流ー

その8
ただ、現代の研究者によれば、アティシャの学識に対して疑義を呈せざるを得ないという。そのうちの1人、松本史朗氏は、以下のようにいいます。
 アティーシャとは、どの様な学説・思想をもつ人物であったのか。彼が中観派であったことは間違いないが、その学問的見識がどの程度のものであったかについては、若干の疑念がある。…彼〔アティーシャ〕はむしろバーヴァヴィヴェーカを〔それを批判する〕チャンドラキールティやシャーンティデーヴァSantidevaと同系列の人物とみなし、彼等を一様に尊敬しているのである。…筆者がこの様にアティーシャのチャンドラキールティ観とバーヴァヴィヴェーカ観について多言(たげん)を弄す(ろうす)るのは、チャンドラキールティの哲学を如何に解釈するかということが、後期仏教伝播(でんぱ)時代(じだい)のチベットの仏教学にとって、きわめて重要な問題であったからである。彼〔アティーシャ〕のチャンドラキールティ尊重は、バーヴァヴィヴェーカを捨ててチャンドラキールティを取るという様なものでなかったために、彼自身の内部においても教理的に明確な形をとらず、従ってまたチベットの弟子達にも正確に伝わらなかったとは、思われる。(松本史朗「チベットの仏教学」『東洋学術研究』20-1,1981,pp.142-144、
ルビ・〔 〕私)
幾分説明を加えましょう。ここで言う「後期仏教伝播(でんぱ)時代(じだい)」とは、アティシャ以降のチベット仏教のことです。後期になると、チベット仏教の本流は中観派の分派、チャンドラキールティ流でした。チャンドラキールティはインドの学僧でしたが、彼の前に活躍したバァーヴィヴェーカ(今はこの呼称が一般的である)を批判して、両者の中観解釈は大きく異なりました。そのため、どちらを尊重するのかは極めて重要なのです。しかるに、アティシャは、それを明確にしなかったようです。しかも、それは意図的であったのかもしれません。先ほど、名に触れた望月海慧氏は、以下のように言います。
 アティシャの思想的立場として確認できることは、中観思想を高く評価しているものの、その前提となる儀軌(ぎき)や瞑想(めいそう)修行(しゅぎょう)などの行に関するものは、瑜伽(ゆきゃ)行(ぎょう)唯識派(ゆいしきは)の文献に依拠(いきょ)している。さらに、密教行者でもあることから、顕教(波羅蜜乗(はらみつじょう))の上に密教(真言乗(しんごんじょう))を位置づけている。彼の特定の著作を取り上げると、それ独自の思想的立場を抽出することができるかもしれないが、すべての著作を総合的に考察して彼の思想的立場を特定の学派に決定することは困難なのかもしれない。(望月本、p.15)
要するに、アティシャの思想的立場は、現在、未定ということなのです。

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