「倶舎論」をめぐって

XLIV
さて、緻密な研究を提示する福田琢氏は、ポーランドの『倶舎論』研究者メイヨール(M.Mejor)氏のVasubandhu’s Abhidarmakosa and the Commentaries Preserved in the Tanjur『世親の倶舎論とチベット訳論書部にある諸註釈』と題する本の書評をしている。その中で、ヤショーミトラ注についての発言を見てみよう。
 サンスクリット原典の現存する唯一の『倶舎論』注であり、本書〔=メイヨール氏の本〕冒頭にも引用されるように、かつてビュルヌフによって「仏教の思弁的分野における尽きざる知識の鉱脈」と讃えられた貴重なテキストである。(福田琢 書評・紹介Marek Mejyor: Vasubandhu’s Abhidarmakosa and the Commentaries Preserved in the Tanjur『仏教学セミナー』60,1994,p.79)
ビュルヌフ(E.Burnof,1801-1852)というのは、19世紀に活躍したフランスの仏教研究者である。[『インド仏教史序説』(L'introduction a l’histoire du bouddhsme indien,1844)を現し、ヨーロッパに仏教の正確な情報をもたらした草分け的な学者だといってよい。それまで仏教は虚無的な宗教という非難を浴び、誤解されていたようである。その影響の度合いは、小さくない。少し、仏教とは、離れるが、その様子を伝えておこう。音楽家のワーグナーは、誰もが名前位は知っているだろう。彼を論じた論文には、このような記述がある。
 5月16日、ワーグナーは『勝利者』(Die Sieger)と題する短い構想メモをかきつけている。これは、しばしばの丹毒発病のため『ワルキューレ』の作曲がすゝまず、病中のなぐさみに手にとったフランスの東洋学者ビュルヌフ(Eugene Burnouf,801-52)の『仏教史入門』(Introduction a l’hisroire du Buddhisme)から着想したのであつた(『わが生涯』S.541)ワーグナーのこの読書は、ショーペンハウアの影響でインドに興味をもつた結果であるといはれる。(伊藤義敬「『トリスタン』への道」独仏文学19,1985,p.48,ネットで披見出来る)
また、フランスの小説家として名高いフローベルに関する論文には、以下のような1節がある。
 未完に終わった『オリエント物語』を構想していた1846年、エマニュエル・ヴァッスに宛ててホイッテンガーの『東洋史』と共に『シャクンタラー』、『プラーナ』のhン訳の王立図書館からの借用方を依頼し、その落手の礼状の中で、読了したあるいはこれから読破したい本の一覧を書き記している。「僕は『バガバット・ギーター』、『ナラ王物語』、仏教に関するビュルヌフの大著作、『リグ・ヴェーダ』の賛歌、マヌ法典、コーラン、そして中国の本を何冊か読んだ。今のところそれでけだ。アラブ人、インド人、ペルシャ人、マレー人、日本人その他の手に成る多少ともおどけた詩とか俗謡集を見つけたら、送って下さい。オリエントの宗教とか哲学に関する良い著作(雑誌でも本でも)知っていたら、教えて下さい。」(滝澤壽「フローベールとオリエント」Studies in Humanities,C32:79-88,1988,pp.81-82,これは信州大学の雑誌で、ネットにて披見可能)
ともあれ、ヤショーミトラ注が珍重されていることは理解出来た。

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