仏教余話

 その233
その世親には、よく知られた伝記がある。題して『婆藪槃豆法師伝』という。中国仏教に多大な影響を与えた真諦が訳したものとされる。漢訳仏典の代表格、大正新修大蔵経の50巻にある。この伝記には、次のような下りがある。
 仏の滅後、900年に至って、他学派のヴィンドゥヤヴァーサ(頻闍訶婆娑、Vindhyavasa)という名の者がいた。これ〔ヴィンドゥヤ、頻闍訶〕は山の名である。ヴァーサ(婆娑)は「住む」と訳せる。この他学派の者が、この山に住んでいることに因んで、名付けた。龍王がいて、ヴールシャガナ(毘梨沙迦那、Varsagana)という名であった。頻闍訶山の下の池の中に住んでいた。この龍王は、よく、サーンキャの学説(僧佉論、samkya-darsana)を理解していた。…〔龍王は〕、それ〔ヴィンドゥヤヴァーサ〕の聡明さを喜び、サーンキャの学説を語った。…他学派〔のヴィンドゥヤヴァーサ〕は、この学説を得た後で、心が高慢になり、自らこういった。「この〔サーンキャの〕教えは最高で、これ以上のものはない。〔然るに〕、世の中では、釈迦の教えが盛んであり、皆この教えを偉大なものとする。〔これは、おかしなことであるので〕、私がことごとく論破しよう。」…王様はこの事を知って、すぐ他学派の者を呼び出した。…〔そして〕、王様は、人を派遣して、国内の〔仏教の〕諸法師に〔論争するかどうか〕問い合わせた。…〔その論争では仏教側が敗れた。それを知った世親は反論しようとしたが〕他学派の者の身体は、既に、石となってしまっていた。世親は、憤懣やるかたなく、すぐに『七十真実論』(Paramarthasaptati)を著作し、多学派の者が造ったサーンキャの学説を論破した。
 至仏滅後九百年中外道。名頻闍訶婆娑。是山名。婆娑訳為住。此外道住此山因以為名。有龍王名毘梨沙迦那住在山下池中。之龍王善解僧佉論。…嘉其聡明即僧佉論語外道。…外道得此論後心高佷慢自謂。其法最大無復過者、唯釈迦法盛行於世、衆生謂此法為大、我須破之。…王知此事即外道…王遣人問国内諸法師…外道身既成石、天親彌復憤懣即造七十真実論破外道所造僧佉論。(大正新修大蔵経、No.2049,p.189b/24-190a/28)
多分に潤色があるとしても、この伝記から、世親とサーンキャ学派の関係が、浅からぬものであることは推測出来る。そのことを考察する前に、大正新修大蔵経について、述べておいた方がよいだろう。皆さんも、何十巻にもわたる漢訳仏典は知っているだろう。あの膨大な仏典が、今では、ネットで簡単に見ることが可能なのである。大正新修大蔵経データベースなるものが、無料で検索出来る。後は、知りたい語句を打ち込めば、たちどころ
に、探している仏典に辿り着けるのである。是非、活用してもらいたい。
 


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