仏教余話

その76
以上の拙文を読んで、皆さんがどう感じるのか?はわからないが、少なくとも、私は、この理念こそ仏教論理学だと思うし、更にいえば、分野の枠を超えて、仏教そのものの理念とさえ考えているのである。しかし、現代日本の仏教論理学のリーダーたる、桂紹隆博士の考えは、私とは、ちと異なるのである。博士は、こういう。
 ディグナーガは、仏教の枠組みを超えて、如何なる教理的立場からも受け入れられる一種の形式論理学を目指したが、ダルマキールティは仏教の立場に立って、他学派の教理を否定し、仏教教理を論証するために、ディグナーガの論理学を継承・発展させたと言えよう。ダルマキールティの論理学こそ「仏教論理学」という名前に相応しいものであ
る。その意味で、彼の論理学は「仏教」と呼ぶことができよう。ただし、ダルマキールティ自身が『プラマーナ・ヴィニシュチャヤ』第一章の末尾に明言するように、仏教論理学といえども世俗的な営みに過ぎない。勝義の世界、仏の世界は論理学を超越した地平にあることをダルマキールティは承知しているのである。(桂紹隆「仏教論理学の構造とその意義」『シリーズ大乗仏教9 認識論と論理学』2012,p.44)
桂博士は、仏教論理学の根底に神秘主義的な要素を見ているのである。この点で、私とは、完全に意見が異なる。

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