新インド仏教史ー自己流ー

その3
別な概説書も引いてみましょう。以下に示すものも、明治の大乗非仏説から導かれた苦肉の学説なのです。日本仏教研究者、末木氏は、自らの経験も交え、こう述べています。
 私が仏教を勉強し始めた頃に常識とされていて、私自身ある時期まで受け入れていた仏教史観は、次のようなものであった。釈尊(しゃくそん)の教えを正しく伝えた原始仏教の時代は、釈尊没後百年ほど続くが、やがて部派に細分化され、アビダルマの煩瑣(はんさ)教学に陥(おちい)って現実を遊離(ゆうり)した。それをもう一度釈尊自身の本来の教えに戻そうとして大乗仏教の運動が起こった。そこで初期の大乗経典が生まれ、それを理論化したのが竜樹(りゅうじゅ)である。日本の仏教はこのような初期大乗経典と竜樹の思想を受けているので、表面的な形態は変わっても、釈尊本来の精神を受け継いでいる。これは日本独自の仏教史観であり、・・・戦後の仏教学において洗練(せんれん)されたものである。一見客観的な歴史的展開を述べているように見えながら、じつはそれによって日本仏教が正当化されるという護教的な枠組みが、今日になってみれば明らかである。(末木文美士「大乗非仏説論から大乗仏教成立論へー近代日本の大乗仏教言説」『シリーズ大乗仏教10 大乗仏教のアジア』2013年、所収、p.304、ルビ私)
日本における大乗仏教も様々な問題を孕(はら)んで、簡単にはいかないことはわかりました。我々としては、大乗仏教への1つのアプローチを見たということで、日本のケースを離れ、インドに目を向けなければなりません。概説書の記述を参考にして、これまでの主な研究を見ていきましょう。度々、引用している平川彰氏の業績は、画期的なものでした。概説書では
こう述べています。
 大乗仏教在家(ざいけ)仏教起源説とは、平川(ひらかわ)彰(あきら)が提唱(ていしょう)した「大乗仏教は在家の仏塔(ぶっとう)崇拝者たちの始めた新しい宗教運動である」という学説である。・・・平川は社会的な集団としての側面から菩薩(ぼさつ)の教団を考察し、小乗の〔正式な僧侶である〕比丘(びく)の教団とは異なった菩薩集団「菩薩ガナ(bodhisattva-gana)に着目する。・・・平川はこの集団こそが、仏舎利塔(ぶっしゃりとう)の側の僧房(そうぼう)に住んだとされる大乗菩薩の教団であると想定しつつ、そこに大乗仏教の起源を見出したのである。その最大の根拠になったのが律蔵(りつぞう)である。律蔵では比丘と比丘尼(びくに)の二種のサンガ〔正式な仏教教団〕のみが認められている。したがって、菩薩ガナという集団は伝統的な教団には収まらない。部派の伝統的僧団(そうだん)の中に、菩薩の集団は共住することはできない。そこで、「仏塔を中心とした集団」と「在家者の集団」を結びつけ、「大乗仏教は、部派僧団と並列的に存在した〈在家仏教〉の流れが発達して、成立した教団であり、このような在家仏教から発生した大乗は、仏塔信仰を生活の基盤としながら発達し、菩薩の教団bodhisattva-ganaを形成していった」と述べた。このため平川の説は大乗仏教在家起源説と呼ばれる。この平川の学説は、律蔵文献を用いて、それまでほとんど知られていなかった古代仏教僧団の生活状況を総合的に把握し、それを基盤として大乗の起源の問題に挑んだ点で画期的であった。その後しばらくは彼の説が日本の仏教学界に大きな影響を及ぼし、大乗仏教が在家を中心とした勢力によって起こったとする説が、一般に浸透するまでになっていた。平川の学説は大乗経典が部派仏教を批判することや、在家の菩薩の存在を明確に描き、それと大乗の教団を結びつけて説明するなど、従来まで説明できなかったことを構想したため、日本の学界ではほぼ定説のようになった。(渡辺章悟「大乗教団の謎」『新アジア仏教史02インドII 仏教の形成と展開』平成22年、pp.186-188,ルビ・〔 〕内ほぼ私」
平川彰の説は、非常に魅力的で説得力にも満ちていましたので、何十年も学界の主流であったのです。しかし、完璧ではありませんでした。1例を示すと、大乗には戒という個人的に守るべきことはあっても、律という集団を規制する決まり事は見られないことが挙げられます。律がなければ集団もないことになり、大乗教団という集団の存在は疑わしいことになります。この点について、平川氏自身の説明を引いてみましょう。

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