新インド仏教史ー自己流ー

その4
もう1つ唯識派で述べておかねばならないことは、仏教以外のインド宗派、すなわち外道(げどう)との関係です。三島の小説にも登場した名前、世親(せしん)は、原語名ヴァスバンドゥ(Vasubandhu)で、兄無着(むちゃく)とともに、唯識派の大成者(たいせいしゃ)です。この世親は、若い頃、小乗仏教の代表的部派、説(せつ)一切(いっさい)有部(うぶ)で学びました。その結果、後世、大変、珍重(ちんちょう)される『倶舎論(くしゃろん)』を書きあげました。伝承では、説一切有部の人々は、はじめは『倶舎論』の出来の良さを褒(ほ)めていたのに、やがて同書の中に、異端的(いたんてき)な要素を認めて、激しく批判したとされています。世親は説一切有部の教学をマスターして、唯識に生かしたのです。唯識の阿頼耶(あらや)識(しき)という潜在的(せんざいてき)な意識は、説一切有部では決して認めません。この阿頼耶識は、チベット語では「クンシ」といって、「すべての源」を意味します。その機能は、情報をすべてインプットし、そこからすべてを生み出すのですから、ピッタリの訳語と言えます。阿頼耶識からすべてが生まれるという発想は、実は、外道のサーンキャ学派と非常に似ています。サーンキャ学派では、根本(こんぽん)原質(げんしつ)という1つのものから、すべてが生み出されると説きます。根本原質を阿頼耶識に置き換えると、仕組みは同じです。世親自身は、両者は異なっているとし、『倶舎論』でもサーンキャ学派を批判しています。しかし、彼の伝記でも、自分の師匠(ししょう)がサーンキャ学派に論破(ろんぱ)されて、その恨(うら)みを晴らすために、『七十(しちじゅう)真実論(しんじつろん)』という書を著したなどと言われています。世親とサーンキャ学派との因縁は浅からぬものがあるようです。このように、インド仏教を探る場合は、必ず、他のインド思想との関わりを見ておかねばなりません。仏教もインドで誕生したのですから、当然の視点と言えますが、仏教を信仰するあまり、他からの影響を無視するようなケースもたまにあるのです。世親は、その思想の多様(たよう)さ故、2人いたという説も、近代になって唱(とな)えられました。主張した人物が、当代(とうだい)きっての学者だったので、大分長い間、有力な説でした。別な機会に触れることがあると存じます。

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