「倶舎論」をめぐって

CIII
更に、山口訳注では、中観との関連をも、強調し、以下のようにいう。
 緣起説に立つ佛敎ではさういふ有我論を許容しないから、物が因緣によって生ずれば必ず滅する。有るやうになることは無いやうになることであるといふ刹那滅である。さういふやうな意味に於いて、實體が移動する(samkranti)とする思想に對決する刹那滅論は、中觀説的な一つの論議の展開となるのであり、旁々成業論の中では、そこに中觀の論理の依用せられる機會が多くなってゐることになる。(山口益『世親の成業論』1951,p.29)
世親と中観思想との親縁関係は、最近の論文、桂紹隆「ヴァスバンドゥの刹那滅論証」『櫻部建博士喜寿記念論集 初期仏教からアビダルマへ』2002でも言及される。谷貞志氏は、明確にこう述べている。
 〔世親の〕「原因なき自発的消滅論」はすでに「空性」の洗礼を受けていなければならない」(『刹那滅の研究』平成12年、pp.42-43、〔 〕内私の補足)
かくして、中観の影響を指摘する声は高いが、これを首肯しない見解もある。室寺義仁氏は、以下のように言う。
 善慧戒は「中論の論理」を依用しているという見解は不適切であり、善慧戒は法称〔ダルマキールティ〕以降の仏教の論理学・認識論の伝統を踏まえて注釈している。…善慧戒は瑜伽行派の思想を継承しながら、経量部にも通じ、仏教の論理学・認識論の伝統を踏まえてKS〔『成業論』〕を注釈した。寂護〔シャーンタラクシタ〕蓮華戒〔カマラシーラ〕と同じくナーランダの学統の中にあって、彼ら両人とほぼ同時代の後輩として、八○○年頃活躍したと考えるのが妥当であろう。(室寺義仁「善慧戒の『成業論注釈』について」『印度学仏教学研究』33-2,1985,pp.565-566,〔 〕内私の補足)

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