「倶舎論」をめぐって

XLVIII
さて、ヤショーミトラのそして世親の思想的立場を垣間見たが、それはかなりの難題であるという実情を把握してもらえばよいと思う。ヤシーョミトラの立場を考える場合、更に別な要素も絡んでくる。彼は『倶舎論』第6章「賢聖品」pudgalamarga-nirdesaの「二諦」の注釈に、中観派の基本論書『中論』24章「聖諦の考察」aryastya-pariksaの第8偈を引用しているのである。それは以下のような偈である。
 諸仏の教えの教示は、二諦に依存し、〔行われる〕。
 世間・世俗諦と勝義としての諦である。
dve satye samupasrtya buddhanam dharmadesana/
lokasamvrtisatyam ca satyam paramarthah//
 sangs rgyas rnams kyis chos bstan pa//bden pa gnyis la brten nas te//
‘jig rten kun rzob bden pa dang//dam pa’i don gyi bden pa’o//
平川彰博士は、『中論』の引用について、以下のようにコメントしている。
 倶舎や正理の二諦解釈は、勿論中論とは異なる。寧ろ倶舎が二諦を勝義有と世俗有との「二有」と解釈した点に、中論と異なる有部独特の立場を見ることができる。しかし有部の二諦説と中論の二諦説とには、共通点も存することを見落とすことはできない。それを示すものは、称友〔ヤショーミトラ〕釈である。…〔ヤショーミトラが『中論』の〕二諦偈をとって、倶舎の註釈に応用している点を注目したい。即ち倶舎や正理が、二諦を二有と解している点に、有部教理の特質があると同時に、その二有の解釈には中論の空や仮に通ずる思想が含まれていることが、称友の取扱いにも示されていると思う。(平川彰「説一切有部の認識論」『北大文学部紀要』2,1953p.15の注11)
また、こうも述べている。
 有部の法の解釈は「空の立場を無意味にしてしまう」とは考えられない。前述の如く、称友が有部の法の解釈の最も本質的な点である「世俗有」と「勝義有」とを註釈するに際して、中論の二諦偈を引用して、少しも矛盾を感じなかったように、有部の法の解釈には実在論的性格が否定され難いにも拘らず、一面では空や仮に通ずる道が開かれていると思う。(平川彰「説一切有部の認識論」『北大文学部紀要』p.17の注24)
こうなると、事は更に微妙になる。 更に、前に触れた次の言葉の意味も、不可解なのである。
 サーンキヤ思想に従えば、「有からだけ生起するが、無からではない」というので、それを取り上げて、〔『倶舎論』では〕、「前にあったとしても、あるいは」と言及されているのである。「あるいは」という言葉は、他の思想を選別するためである。もし、汝らの立場が「有が生起する」というのであれば、我々も、「有が生起する」のである。つまり、毘婆沙師の流儀では、「未来は有たるもの」であり、経量部の流儀では、「生起させるダ
ルマたる種子は、有という存在である」からである。(山口益・舟橋一哉『倶舎論の原典解明 世間品』昭和30年、p.213を参照した。)
tatha hi Samkhya-matanusarena sata evotpada nasata iti tad etad adhikrtya braviti.san pura ‘pi veti.va-sabdo mata-vikalparthah.yadi bhavatam sann utpadyata iti paksah.asmakam api sann utpadyate/Vibhasika-nayayenanagatanam astitvat.Sautrantika-nayena ca janaka-dharma-bija-sadbhavat.
(U.Wogihara ed. Sphutartha Abhidharmakosavyakya the Work of Yasomitora,Tokyo,1989 rep. of 1936,p.295,ll.28-32、S(A):p.359,ll.29-32、サンスクリット原典ローマ字転写)
 
grangs can pa’i gzhun lugs kyi rjes su ‘brangs na yod pa kho na skye’i med pa ni ma yin no//zhes ‘byung bas de’i dbang du byas te/’on te snga na yod na yang rung zhes bya ba smos so//’on te zhes bya ba ni sgra ni gzhun lugs tha dad pa’i don yin te/gal te khyod kyi phyogs yod pa skye ‘o//zhes bya ba yin na kho bo cag gi yang yod pa skye ste bye brag tu smra ba’i lugs kyi ma ‘ongs pa yod pa’i phyir dang/mdo sde pa’i lugs kyis kyang skye bar byed pa’i chos sa bon yod pa’i phyir ro//(北京版、No.5593,Cu,328b/3-6、チベット語訳ローマ字転写)
世親もヤショーミトラも共に、経量部だとするなら、論敵である毘婆沙師や他学派であるサーンキヤと自分達を同列視するような、上記の発言は、1種の皮肉にも見えるであろう。何ともとらえ所がないのが、現時点でのヤショーミトラ評価である。
締めとして、「伝説」と訳されるkilaという言葉の辞書の記述を紹介しておこう。モニエル・ウイリアムスの『梵英辞典』は、頻繁に利用されるものである。kilaの項には、以下のような記述がある。
 kilaは強調する言葉に先行される。非常に希には、文や詩句の冒頭に現れる。現地の辞典編纂者によれば、kilaは情報交換の際に使われ、「多分」「恐らく」「同意」「嫌悪」「欺瞞」「間違い」「判断」を意味する。


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