仏教豆知識

その4
随分酷(ひど)い追悼(ついとう)文(ぶん)のように思いますが、これについて禅を世界に広めた著名なる、鈴木(すずき)大拙(だいせつ)
(1870-1966)が、一言しています。
 『中外』に出ていた忽滑谷君の御話(おはなし)は、どこまでが本当で、どこまでが記者の推察かはっきりせぬ。又忽滑谷君の評価の根拠がどこにあるのか、それもはっきりせぬ。そんなことを題にして執筆することは、わしらの閑(ひま)つぶしである。たださう言って仕舞(しま)うも、余りぶしつけで、平生(へいぜい)の御厚意(ごこうい)にも背(そむ)くかと思ひ、一寸(ちょっと)言ひ添(そ)えます。自分としては、木村君の著作を悉(ことごと)く読んで居ない。又同君の平生の言論にも接していない。同君が禅門に対して、どんな関係に立っていたか判断する材料を持たない。それ故忽滑谷君のいふ所がどの位本当といい能(あた)はぬのである。併(しか)し世間の見る所では、木村君は大学教授で、著述の名目(みょうもく)を見ても、印度宗教とか、部派仏教とかいふようなものを書いている。所謂(いわゆ)る禅なるものとは、縁の遠いものばかりだ。もし縁があるとすれば、君は禅寺からの出身といふことだけである。それだけでは、君と禅門との関係を云々することは出来ぬ。自分としては此の外のことを知らぬ。木村君が仏教学に貢献するところ如何(いかが)の問題に至りては、これは全く別箇(べっこ)の問題である。『中央仏教』では、此(この)辺(あたり)のことを問題としていると思ふゆえ、これには言及せぬ。(鈴木大拙「木村君と禅」『中央仏教』第14巻第7号、昭和5年7月、竹林史博『曹洞宗正信論争〔全〕』平成16年、pp.714-715、ルビ私)

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