「倶舎論」をめぐって

XXI
『倶舎論』には、チベット語訳もある。私は、入手しやすいので、北京版を使うが、他にも色々な版がある。北京版では、No.5591として収められていて、ジナミトラ(Jinamitra)とペルツェク(dPel brtsegs)に訳された。『倶舎論』のチベット語はChos mngon pa'i mdzod kyi bshad pa(チュウ ゴン パイー ゾー キー、シェーパ)である。Chos mngon pa(チュウ ゴン パ)がabhidharmaの訳、mdzod(ゾー)がkosaの訳、bshad pa(シェーパ)がbhasyaの訳である。チベット語訳は、元のサンスクリット原典に忠実で、原典再現も行いやすい、という評価が一般的である。チベット語訳の貴重さに対しては、櫻部博士が次ぎのような経験を語っている。
 一九七○年代以降のわが国において、倶舎論や阿毘達磨の研究は隆盛で、それ以前に比べほとんど隔世の感がある。二つのことがその機運を促すきっかけとなったように思う。一つはパトナからのP・プラダンによる倶舎論原文の刊行であり、もう一つは大谷大学西蔵大蔵経の写真版刊行である。貴重図書としてほとんど宝物扱いであった西蔵大蔵経が、一転、天下に公開され世界の学人らに広く提供されるようになったのには、鈴木大拙博士のアドヴァイスと時の学長山口益博士の決断とがあった、と聞く。膨大な蔵経の写真版出版計画は資金面の困難から頓挫しかけたりもしたのだが、それを乗り越えて、ついに大出版の完成を見たとラジオの英語ニュースが伝えるのを、私はインド・ナーランダ研究所の一室でチベットの喇嘛リグジン・ルンドブ師と共に聞いた感銘を今も忘れない(もっとも、リグジン師は西蔵大蔵経に北京版というエディションのあることを知らなかった)。西蔵大蔵経の必要な箇所の数葉だけを図書館の書庫から借り出し、汚さないようにとおそるおそるノートに写し取ったり、複写紙で、三、四部コピーを作って互いに分け合ったりした昔を追想しながら…(櫻部建「大谷大学の倶舎学の伝統について」『仏教学セミナー』70,1999,p.43)
勿論、漢訳もある。2本あって、両方とも大正大蔵経に収められている。1つは玄奘訳で、『阿毘達磨倶舎論』No.1558、もう1つは真諦訳『阿毘達磨倶舎釈論』No.1559である。玄奘訳が使用されることが多いが、真諦訳の方が原典に忠実であるという指摘もある。江島恵教博士は、真諦の漢訳についてこう述べている。
 真諦は、ストイック過ぎるくらいに忠実に訳している。…真諦訳は、チベット語訳本同様に、あるいはそれより古いのだから、それ以上に、重視される必要がある。…彼の訳は百年後の玄奘訳に喰われ、中国日本では、無視されがちであった。…こと『倶舎論』に関しては、忠実な訳者である。この事実は、彼の訳業全体を考察するときには、ぜひ参考にして欲しいと思う。…真諦訳は伝統的に無視されてきたが、いま述べたように、これは忠実な訳である。これを正確に読み、評価しなおすためにも、現在の大正大蔵経本は校訂しなおすことが望まれる。それによって『倶舎論』の最古型が浮き上がってくるだろうと思う。(江島恵教「『倶舎論』サンスクリット・テキスト校訂について」『仏教文化』22,平成元年、pp.6-7)
また、稀有の大学者山口益博士も、こういう。
 倶舎論の本文形態を吟味して行くときには、玄奘訳よりも眞諦訳の方に原典的形態の著るしいものが屢々見出されることもあり…(山口益・船橋一哉『倶舎論の原典解明 世間品』昭和30年、p.10)
ここで、従来使用されてきた玄奘訳への疑義が表明されている。しかし、そこには、大きな落とし穴があることも容易に推測出来る。訳が正確かどうか、判定する場合、同じ原典に関してなら、判定は可能であろう。だが、もし、真諦と玄奘の訳した原典そのものが異なっているとしたら、訳の正確さの判定自体が成立しないであろう。同じ原典であったという保証はないような気がする。原典の最古型の復元が、このようなテキスト出版の最大の目標であることは伺える。ところで、私は、ごく、狭い範囲で、真諦の『倶舎論』訳を見たことがあるが、サンスクリット原典とは、大幅に異なるものであった。かなり付加が多く、江島博士や山口博士の指摘に反し、玄奘訳の方が、原典と近かった印象がある。これについては、吉津宣英博士の言葉が、ヒントを与えてくれる。
 訳出と同時に周囲の人々に講義し、その講義の内容を注疏にまとめたと言われ、そのために多くの注釈書の名前が伝えられることになった。そしてこれらの注釈群の存在が、訳出訳律論に微妙な影響を及ぼしていることも指摘されているのであり、真諦の訳出経律論を語る場合も、これらの注釈群を無視することはできない。(吉津宣英「真諦三蔵訳出経律論研究誌」『駒澤大学仏教学部研究紀要』61,平成15年、p.226)
吉津博士の言を参考にすれば、『倶舎論』の翻訳にも、注釈書の影がちらつくのである。ここでは、真諦の存在が、近代的仏教学によって、次第にクローズアップされてきたことを知ってもらえばよいと思う。隔世の感があるが、ほんの100年ほど前には、玄奘由来の法相宗が支配的であり、真諦は、異端的な存在としか看做されていなかったのである。その状況を変えたのは、少し前の大学者、宇井伯寿である。宇井博士の晩年の肉声を、もう1度、紹介しておこう。
 真諦の伝えた所を公平に明らかにせんとすれば、玄奘系統の固陋の学者は之を頭から排斥して罵詈讒謗を敢えてなすのがこの系統の学者の常套である。これ等の学者は〔自らが信奉する〕護法が何の立場に立って居るかすら考えて居ないのあつて、立場の異なるものに対しても、自己の立場と同じと見て、排斥にのみ専心するのである。(宇井伯寿「仏教研究の回顧」『インド哲学から仏教へ』1976所収、pp.491-492、〔 〕内私の補足)


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