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保次郎一家の移民生活

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曽祖父・保次郎(やすじろう)一家の米国移民時代を辿る旅。明治〜大正時代のお話。
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2019年11月の記事一覧

祖母のような日系二世が受けた教育(1920年代)

祖母のようにアメリカで生まれ育った日本人移民の子供(日系アメリカ人)は、どんな教育を受け…

abetomo
5年前
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曽祖父保次郎、42歳で日本に帰る(大正14年)

曽祖父保次郎のアメリカ生活はそれなりに豊かだったように思えますが、42歳の年に妻子を連れて…

abetomo
5年前
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帰国後の曽祖父一家:日本でも写真を撮る

日本に帰った曽祖父一家は、故郷の新潟県と福島県の県境にある山奥の村に滞在しました。 下の…

abetomo
5年前
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帰国後の曽祖父一家:在米知人からの手紙(大正14年)

曽祖父保次郎は帰国後、在米の知人や親族、日本国内の知人などと手紙のやり取りをしていました…

abetomo
5年前
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帰国後の曽祖父一家:米国の甥からの手紙(大正14年)

曽祖父保次郎一家の帰国後、大正14年(1925年)11月に、アメリカにいる甥(保次郎の兄の次男)…

abetomo
5年前
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祖母とアメリカの友達との文通(大正14年)

曽祖父保次郎だけでなく、祖母も帰国後にアメリカの友達と手紙をやり取りしていたようです。1…

abetomo
5年前
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早逝した次女と自作のパジャマ(昭和8年)

曽祖父保次郎一家が日本に帰った後、次女ヒメコは新潟の女学校時代(1930年代)に病死しました。 自宅がかなり田舎だったので女学校の寮に入っていたのですが、そこで同室だった方から結核に感染しました。その方はその後回復したそうですが、ヒメコは亡くなりました。 この写真は女学校時代に撮ったもので、台紙にはこう書かれています。 昭和八年五月下旬 十七才 このパジャマは自分で作ったもの。妹は病気療養の為家に帰って居た。 「妹」とあるので、これは曽祖父ではなく祖母が書いたのでしょ