見出し画像

加藤純一はボブディランになりうるのか

こちらの動画の中身になります

どうも今日はあべしんです
今回は、加藤純一がボブディランになりうるのかという事について話していきたいと思います。

多分ほとんどの方が、「ボブディラン…?名前は知ってるけど…」ってなると思うので、話させていただきたいと思います

ボブ・ディラン

1941年5月24日生まれ
ユダヤ系アメリカ人のミュージシャン

最近の話でいえば、歌手にして初めてのノーベル文学賞を受賞したことが話題になりました。
プロテストソングと呼ばれる、社会運動的メッセージ性の高い曲が有名です。
「どれだけの砲弾を発射すれば、武器を永久に廃絶する気になるのか」「為政者たちは、いつになったら人々に自由を与えるのか」
というような、ハッとさせられるような歌詞で構成されている「風に吹かれて」という曲がその最も代表的な例ではないでしょうか。リリースされた当時では、かなり革新的な出来事でした。
そのため、彼の曲は、度々社会運動の象徴として掲げられていました。

Youtube界の異端児 加藤純一

日本1のプロストリーマー。活動の場は動画ではなく生配信だが、単純なYoutubeの再生回数でも、日本TOP10争いを繰り広げる。
自由な配信をモットーとし、普段はゲーム配信をメインに活動されていますが、度々行われれる雑談配信も人気です。
さらなる詳しい説明はぜひこちらの動画をご覧ください。

二人の共通点


この二人の名前だけを聴くと、「世界的ミュージシャンと、TOPとはいえただの日本のYoutuber比べてどうするんだ?」と思われると思います。確かに、規模の大小はあります。しかし実は、2人には、ある共通点がありました。


弱者の声を聴く
加藤純一は、社会のしがらみに縛られない自由な配信をされています。Youtubeではゲーム配信が有名ですが、実はニコニコ生放送でも数々の伝説的企画を立ち上げています。代表的なのは、前回僕の動画でも取り上げさせていただいた”障害者マインクラフト”や”難病持ち限定凸待ち”などがあります。YoutubeのTOP10を争うと言いましたが、ここまでコンプライアンスなどお構いなしのギリギリの企画で人気を博しているのは、加藤純一唯一人だと思います。
 少々話がズレかけましたが、僕が伝えたいのは加藤純一の“弱者の声を聴く”という才能についてです。この、”障害者マインクラフト”という企画は、一見障害者を見世物にする企画のように見えます。しかし、その内情は、障害もすべて個性と受け入れ、ただただ一緒に楽しく遊ぶという姿を映し出すという温かいものでした。また、普段の配信でも、「無職」やら「ダメ人間」などの普段は日陰に追いやられている人々を意識したトークをされており、過激ながらどこか温かさを感じさせるというのが加藤純一の配信の魅力となっています。

実は、ボブディランも、こうした”弱者の声を聞く”という魅力が評価された人です。先ほども紹介しましたが、ボブディランは「風に吹かれて」という曲で、アメリカの制度やしがらみに苦しめられている人々を歌った方です。同世代の黒人歌手であるサム・クックが、「曲(風に吹かれて)が黒人ではなく白人によって書かれたことが信じられなかった」と触れています。当時の感覚としては、迫害=黒人であったため、白人がそれを歌うことが珍しかったのです。


2人を取り巻く環境

ボブディランは、先ほどプロテストソングという社会運動的な曲を歌うことで評価されていると紹介しました。しかし、実はボブディラン本人は、プロテストシンガー(プロテストソングを歌う人)として評価されることを嫌っていました。実は、本人はただ純粋に創作活動としてそうした人々の気持ちを歌っただけで、社会運動家といった肩書はほかの人が担ぎ上げたものでした。

ボブディランのドキュメンタリー映画である『ノー・ディレクション・ホーム』の中で、「歌を作って歌う人間が――社会の問題に対する答えを持っている。マスコミはそう思い込んでいた。そんな連中に何を言えばいいんだ。ばかばかしい」とコメントしています。

弱者の声を聞くという才能は、それまで見過ごされてきた人々の悲しみを世に広める力があります。そしてそれは時に主流とされている価値観を覆しうるものです。少数派が、多数派を覆すという流れは、まるで虐げられてきた者たちによる”反逆”のようです。
しかし、いつしか時がたち、弱者の”反逆”という部分のばかりがもてはやされるようになります。歌を作って歌っていただけのボブディランがいつしか社会運動家などという扱いを受けていたのは、こうした背景によるものです。


加藤純一を取り巻く問題

加藤さんの配信にも、弱者を集める雰囲気があるというのは先ほど紹介した通りです。そして、ここにもその雰囲気を弱者による”反逆”という文脈で捉えてしまう方もいます。有名な配信者や、インターネット番組のコメント欄で加藤純一の名前を出して荒らすといった行為が、度々生配信界隈で問題になってきています。純粋に配信をしていただけの加藤純一が、いつしか荒らし行為の親玉にされてしまっている。これはまるで、プロテストシンガーにされてしまったボブディランのようではないでしょうか。

まとめ


ボブディランは、自身の活動としてプロテストシンガーからの脱却を目指し、楽曲にて社会運動などに興味がないことをアピールしています。しかし、そんな本人の声もむなしく、一部の人々からは未だに社会運動家のように扱われてしまっています。本人の意思を尊重し、普通の活動をさせてあげるのもファンの両親ではないでしょうか。これからの加藤さんを取り巻く環境の変化が、良い方向に向かうことを祈ります。

いつもありがとうございます。