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神社とオンライン参拝


昨日のnews zeroでオンライン参拝に取り組んでいる神社について紹介されました。

そこの神社では境内にカメラがいくつか設置されていて、サイトからライブ映像を見ながら参拝できるそうです。

zeroでは「なんと神社でも新しい生活様式に対応しているんですね」といった感じで、視聴者のなかでは、神社もオンラインの時代かー、ってなんとなく思った方もいたのではないでしょうか。

では当の神社界ではオンライン参拝についてどう思っているのか。

意見は真っ二つです。

と、言いたいところですが、8~9割の神職はオンライン参拝を受け入れがたい、または反対のようです。(あべ調べ)

おそらく、普段から神社参拝をされている方もオンライン参拝には違和感を感じているのではないでしょうか。

多くの神社がオンライン参拝を受け入れられない大きな理由の一つは、「リアルな参拝」が原点にあるからだと思います。

神社は「神」の「社(やしろ)」、つまり神さまが住んでいるところです。
神社に行く大きな理由は、神さまに会いに行くことと言っても過言ではありません。
また、神社は先人たちが長い年月を経て培った知的集合体を具現化したようなものでもあります。社殿や鎮守の森、お祭り、コミュニティ、伝統文化には長年積み重ねてきた歴史や伝統、叡智が散りばめられています。これらに触れてこそ神社参拝が成り立つという理由である以上、「リアル」で神社を体感しないと意味がない。

これが大きな理由だと思いますし、私自身もそうあるべきだと思います。

オンライン参拝ではこのリアルな体験ができない。ネット経由では神さまを感じることは限りなく不可能である。ゆえにオンライン参拝には賛成できない、というのが反対派の主張の一つです。

一方でオンライン参拝について上記の神社のように賛成派や推進派の方もいます。
どっちかって言うと私もオンライン参拝は推進はしませんが賛成派です。

なぜ賛成なのか。

■多様性を許容することで信仰が広まる。
そもそも参拝方法に厳格な決まりはないと思っています。
例えば2拝2拍手1拝。古くから伝わる参拝作法と思いきや、この作法になったのは昭和23年頃と言われています。2拝2拍手1拝が定着してから72年しかたっていません。72年という年月は長いですが、神社や神道の歴史を振り返ればほんの少しの期間です。
そういった意味でも参拝作法は厳格に「これだ」と言う決まりはありません。出雲大社は2拝4拍手1拝だし。
お参りの方法は祈りを体現する上でとても大切なことですが、それよりも「お参りをしたい」「信仰したい」という気持ちの方が大事なんじゃないかと思っています。神社が「心の拠り所」である以上、参拝したい方の信仰が保たれ、さらにはそういった方々の輪が広がるならば、オンライン参拝は有効かと思います。

■いろんな神社をお参りできる。
情報・交通が発達した現代では、全国にあるいろんな神社について調べることが出来る上に、道路・鉄道・空路の進歩により遠く離れた神社にお参りすることができます。徒歩や馬といった交通手段がなかった時代では、遠方の神社に行くことは生涯に1度、しかも命を懸けなければならないほど大変なことでした。
そんな大変な時代に生まれたシステムが「代拝(だいはい)」と「遥拝(ようはい)」です。
「代拝」は文字の通り「代わりに拝む」ことで、お参りに行けない人に代わり、参拝をしに行ってくれる人がいました。
また「遥拝」は「遥かに拝む」と書きます。遠方地や険しい山頂に神社がある場合、人の集まる場所や山のふもとに「遥拝所」を設けて、神社に赴かなくてもそこから拝むことができるシステムです。
現代で言えば「代拝」は代行システム、「遥拝」はリモート参拝といったところでしょうか。
そう考えると、こういったシステムの本質は現代とそんなに変わらないということになります。
問題は参拝するときの気持ち一つです。

このように上記2つの論点は、おおよそ明治時代から現在までの僅かな時間で生み出された、比較的新しい信仰方法についての賛否であることが分かります。

よってオンライン参拝には賛成したい


のですが、ここに神社運営をめぐる問題があります。

1つは「祭祀の厳修」です。
一見難しそうな言葉ですが、簡単に言うと「お祭りごとや儀式をおごそかに執り行う」ということです。神社本庁が発刊している「神職奉務心得」というものの中に「総則3、心身の清浄を期し、祭祀を厳修すること。」と記されています。

ここでの問題点は、オンライン参拝を行った際にキチンと「祭祀」が「厳修」されるか、という点です。
例えばご祈祷のシーンですが、参拝者と対面して行うのであればご神徳やご利益はちゃんと伝わるかもしれないが、ネットを通した場合、それらが伝わるかどうかはとても疑問がある、と考えている神主さんは多いです。

そういう懸念を抱いている神主さんが多いこと自体は、神社界にとって悪いことではありません。仮に神主全員がオンライン参拝を是としてしまったら、上記2つの問題はもとより、神道の存在自体が深刻な事態になってしまうかもしれません。
こういった対立構造が絶妙なバランスを保っているとも言えるので、議論自体は大いに展開した方がよさそうです。

2つは「氏子制度」です。
氏子制度とは明治時代に行われた制度「氏子調(江戸時代に制定された寺請制度(檀家制度)の後継制度)」のなごりで現在も色濃く残っている習慣です。

多くの神社ではこの氏子制度をいまも厳守していますが、主に都市部ではこの氏子制度をめぐって問題が起きています。詳しい記述は避けますが、オンライン参拝はこの氏子制度を脅かしかねないとの懸念もあります。


このことから、賛成はするが推進はできない理由です。


もし今後、今のような状況が続き、なおかつオンラインのインフラが生活に深く浸透してくようであれば、オンライン参拝はいずれ選択肢の一つとなる時代が来るかもしれません。

そのような時代になる前に我々神主は、神社が本来守るべき本質を明確にして、参拝の在り方について考え抜かなければなりません。

そういった意味でも、オンライン参拝の是非について議論が活発になることは未来の神社界にとって、とても有益であると私は思います。


ちなみにですが、当社では6月限定でホトカミさんを経由してのオンラインご祈祷を受け付けておりました。

なんせ始めての試みでしたので結構ドキドキしながらお待ちしておりました。

結果、オンラインご祈祷の受付件数はなんと、


0件!

率直な感想として、悲しい気持ちとうれしい気持ちが半々でした。

オンラインご祈祷を導入するにあたっては、神社でご祈祷を受けたくても赴くことができない方がいるとお聞きして、少しでもそういった方の心の拠り所となれるよう導入を決めました。
その際ホトカミさんには大変良くしていただき、時間がない中にもかかわらず大変ステキなページを作成していただきました。にもかかわらず0件だったことはホトカミさんに対して申し訳ない気持ちがありました。

その一方で、コロナが収束に向かいつつある中で、通常のご祈祷をお受けする方も少しずつ増えてきましたので、オンラインご祈祷の必要性が薄れてきました。神職として、通常に戻ってこそ本来の神社の在り方ですので、これ以上の願いはありません。

結果的にオンラインご祈祷は0件でしたが、オンラインについてや神社の本質など、学びは実に多くありました。

神社とオンライン、この二つは今後どのように結びついていくのか。
七五三やお正月など、神社を取り巻く課題は山積みです。


しっかり検討し、少しでもよりよい神社を後世に残していくべく、今後も「心の拠り所」として穏やかに在り続けていきたいですね。


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