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乙巳の変〔大化改新〕と毗曇の乱の相関関係について

乙巳の変〔大化改新〕と毗曇の乱の相関関係について
阿 部   学
序(要約)
『皇極紀』に発生し『孝徳紀大化の改新』に影響を与えた乙巳の変を、同時期二年遅れに発生した毗曇の乱とその後の律令制の整備と比較するとき、その流れや登場人物が日本書紀のそれと非常に構造が似通っている。なお、この指摘を大正時代の福田氏が行っているので紹介しておく。ここでの登場人物は、中臣鎌子・中大兄皇子・宝姫(皇極天皇)軽皇子〔孝徳〕に対し、金庾信,金春秋・善徳・真徳女王などでその他細かい人物の差異をのべる。
『新羅本記』・『日本書紀』中心に、本稿では、全体像についても大きな疑義あることを述べる。本論中では、『孝徳紀』は『日本書紀』、『新羅本記』は『三国史記』の本記である。 
一、 福田芳之助氏(大正二年)の指摘
 このような研究を発表した大正時代は日本国が日本書紀の神格化を進めていた時期であり、特に,天皇の神格化が進んで常態かしたころで、その、嵐の時代にこの発表をした福田氏の勇気を讃えたい。具体的な比較は五項目になる。
(ア)  中臣鎌足は蹴鞠の会で中大兄皇子に接近した。→ 金庾信はき金春秋と自宅で蹴鞠をした。
(イ)  中大兄皇子は同盟者石川麻呂の娘を娶る。→ 金春秋は金庾信の妹を娶る。
(ウ)  蘇我氏が皇極女帝の権力を脅かした。→ 毗曇は唐にそそのかされ女帝善徳を廃そうとした。
(エ)  中大兄皇子と中臣鎌足は蘇我入鹿を誅殺した。→ 金春秋と金庾信は毗曇を誅殺した。
(オ)  中大兄皇子は自ら即位せず,女帝斉明を擁立した。→ 金春秋は、自ら即位せず、女帝真徳を擁立した。 
以上のように要約して比較していたが、これでも新羅史をもとにして創作したと結論づけた。
二、これを新たに詳細に検討すると以下の『新羅本記』のう内容となった。
(ア)  蹴鞠での出会いは共通だが、偶然に『皇極紀』→ 庾信の自宅付近で目的を持って近づいて
・靴が脱げたので拾い跪いてつつしんで奉った。→ 庾信が衣の紐を踏みちぎったので家に案内した。
(イ)  中大兄皇子は、同盟者となった蘇我倉山田〔石川〕麻呂の長女と婚姻するはずが身狭臣に偸(ぬす)まれ,代わりに妹がすすんで代わりとなり)婚姻となった。→ 春秋に長女〔宝姫〕を』と合わせようとしたが、さわりがあって出てこないので,末妹(文姫)が進み出て婚姻となった。
(ウ)  蘇我入鹿が皇族を滅し、天皇位(宝姫女王)を倒そうとした。→ 毗曇や廉宗は女王では良く国を治め宇ことができないといって兵を挙げた。
(エ)  中大兄皇子と中臣鎌足により、蘇我蝦夷・入鹿が誅殺された。他は逃げ去った。→ 金庾信等により毗曇・廉宗らは、失敗し九族が殺された。
(オ)  宝姫〔皇極天皇〕は、存命であったがなぜか軽皇子(孝徳)に位を譲った。中大兄皇子は自ら即位せず斉明天皇を擁立し,その死後天皇位(天智)についた,― 乱の際に女王は死亡し、真徳女王即位する。金春秋は真徳女王の後に即位。
(カ)六四五年日本最初の独自元号「大化元年」改新により律令制の国づくり が始まった。→ 新羅最後の独自年号「太和元年」とし、律令制の国づくりが始まった。新羅の四階層制の基本となった。
(キ)  孝徳天皇存命中(六五〇年)大化から白雉に改元、唐の古典から縁起の良い『白雉』に改元。その後、孝徳崩御 → 真徳存命中太和を廃し(六五〇年)唐年号永徽に改元。その後、真徳死亡(六五四年)

表1(類似点と創作部分★)大化の改新とビドンの乱の新羅との互換性と差別化

  以上、ここまで述べればその類似と『紀』撰述者等による差別化の様子が窺える。以上、少なくとも乙巳の変から大化の改新、そして、その間の人物〔天皇〕は創作であると言える。そのなかでも事実の記事も多く採用されていたはずで、その指摘は本稿では行えない。編纂も完成に向け作業が進んでいたが、その頃は新羅との交流も多く、いくつかの英雄譚からヒントを得た記載もあったと断言できる。また、この記事以外でも合成・創作がおこなわれたと推定できる。
 なぜこのような大胆な創作が行われていたのかと推測するに、やはり唐の侵略への恐怖や対抗上、新生日本国が倭国とは別種の由緒正しい国家であると国際的に宣言する必要があったためだと想像できる。もちろん新羅よりも二年早く律令制の国づくりが始まったことにしているのは、八世紀以降、両国の関係が悪化し日本国が先だったことを示したかったからかもしれない。

終わりに
 乙巳の変・大化の改新は、『紀』において、日本国の天皇制の画期的な事件・国造りである。今から一三〇〇から一四〇〇年前は、唐が世界的な軍事大国で周辺の諸国は滅亡の危機に瀕していた。その情勢を考えれば『紀』を創作し証拠として唐に提出し、国家として認知させた外交戦略は成功した。その時代と現在の東アジアの情勢は、似てきたように思える。唐・新羅連合(急に国力を増した中共、親しい北朝鮮)対日本韓国(百済・高句麗・倭国はいずれも滅亡)の対立構図は復活して、危険をはらんでいると思える。

参考文献 原本現代訳日本書紀(下) 山田宗睦訳巻二四~二五 
新羅史 三国史記一(新羅)・四(列伝)井上秀雄・鄭 早苗訳注

タイトル写真は10年前の私ですが人相悪いですね、(笑)

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