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ジアミンアレルギーになった話

はじめまして。あべまです。

突然ですが皆さん、ジアミンアレルギーというものをご存知ですか?

ジアミン(正式な名前はパラフェニレンジアミン)とは主に毛髪への着色に使われる酸化染料であり、美容室や薬局のカラー剤や白髪染めなどにも使われている化学成分です。

私は今22歳で高校を卒業してから約4年間ほど、髪を染め続けてきました。そんな私がある日突然、ジアミンアレルギーを発症したのです。

突然とは言っても割と最近のことで……。2月25日に美容院に行ってカラーリングをしてもらいました。それから3日ほど経ち自分なりに色々調べた所、ジアミンアレルギーを発症してしまった方は少なくないと感じました。

そこで私はこのジアミンアレルギーがどのような経過で治っていくのか、どの程度の症状が残るのかを日記のような感じでnoteに書いていこうと思います。

noteを書くのは初めてですので所々読みにくい箇所や誤字脱字があるかもしれませんが、最後までお付き合い頂けると幸いです。


2月25日

久しぶりに会う友達と出かける約束が出来たので、私は気合を入れて美容院に行く事にしました。

美容院は12月末に一度お世話になっている所で、施術も仕上がりもとても気に入っていたので今回もお世話になろうと数日前に予約を取りました。

バレイヤージュと言う、毛先がグラデーションで根元にハイライトを入れるイメージのヘアカラーがとても気に入っていて、前回と同様に今回もバレイヤージュにしてもらおうと思っていました。

12月末のバレイヤージュの写真
編集下手くそですみません…。


そして施術の時。

実はこの時頭皮が乾燥しまくっていて、少し落ち着いたかな〜と思っていたのですが、この見当こそ間違っていたと今になって痛感しています……。

美容師さんには一応乾燥していることを伝え、まずブリーチをかけてもらってからカラーを入れていく説明を受けました。

美容師さんはとてもいい人で乾燥していることを聞き、気を遣って頂いてブリーチは根元から少し離して入れて頂きました。


そして作業はカラーリングへ。

こちらは頭皮から塗って頂いたのですが……。
ヒリヒリする…。

ブリーチでヒリヒリするならまだしも、カラーリングでヒリヒリした事はあまりないな…。と思いながらも我慢できないほどではなかったので何も言わずに過ごしました。
時間が経ったらヒリヒリとした感覚も無くなり、とりあえずホッとして本を読みながら色が入りきるのを待っていました。

私は黒染め歴があるので色を入れるのが難しいらしく、少し長めの時間置いてもらいました。

そこから染料を流し、トリートメントしてから毛先をカットして完成しました。

うん、今回も超絶可愛い。
後ろのグラデーションも、立体感のあるハイライトも全て完璧だ。

その出来栄えに感動&満足した私はせっかくだからご飯を食べて帰ろうと思い立ち、暇そうな友人に片っ端から連絡をし、捕まえた暇人を連れてご飯へ行きました。

暇人にも褒めてもらい最高な気分の私に、この後異変が起きます。


美容室から出て5時間程経った頃。

耳の後ろからツーッと汗のようなものが流れる感覚がありました。

汗?いやそんなわけない。ここは窓側の席だし暑くもない。むしろ寒いくらいだ。

なんだ?と思い指で拭ってみると、指先に透明の汁がついていました。


なんだこれ……。


そこまで頻繁に出る様子もなかったので、その時はあまり気に止めていなかったのですが、帰宅後に状況が一変。

汁が顔や首を滴って止まらなくなったのです。

その日は久々の外出で疲れていたのもあり、早めに寝ました。


2月26日 昼

昼頃に目覚めた私は、起きたと同時に額や輪郭周りに痛みがあるのを感じました。

そして枕元を見ると……

頭から滴っていた汁が枕にべっとりついていました。

その汁は一晩経っても止まっておらず、昨日とは比べ物にならないくらい次から次へと流れてくるのです。


……とりあえずお風呂に入ろう。

お風呂場に行き鏡を見て驚きました。
そこには頭から額にかけて、パンパンに腫れている電球の形の様な顔が写ったのです。💡


いや、これはもはや頭部が腫れすぎて地獄のミ〇ワみたいにパーツが中心部に寄って見える……。

とりあえずその日はお湯(ぬるま湯)だけで頭皮を洗い、ドライヤーを冷風にして頭皮中心に乾かしていきました。


これは……外歩けないな…
ぜったい地獄の〇サワって言われる……

明日会うはずだった友達に速攻連絡を入れ、出かけられない旨を伝えました。
それくらい私の頭は電球で、顔は地獄のミサ〇でした。

全体を乾かし終わってからも頭部から謎の汁は出続けていたので、タオルを巻いて顔にかからないようにして過ごしていました。

短時間での情報量の多さとショックに、私の頭のキャパは限界を迎えていたので、昼食を食べてから昼寝をする事にしました。

そしてこの後、私は人生で初めて救急車に乗ることとなりました。


続く

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