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池袋のマクドナルドの2Fにて

連日更新してみる。書くべき出来事があったからというより、いま進めている創作についてめまぐるしく思考をめぐらせていて、その記録を残しておきたいという部分が大きい。「書く」という記号化の作業をすることでぶれることもあるけど、自分の中にストックしておくだけでは脳が自動消去してしまう危険があるのと、書くことで問い直す面もあるので、書こうと思っているうちは書いたほうがきっといい。

劇場を出て実際の地域やイシュー、さまざまな現実を生きる人々と共同作業をしている人は今日少なくない。劇場も住所を持っているわけで地域との関わりは薄くとも存在するはずだが、その現場の人たちが同じ言葉を使うのか、そうでないのかは大きな違いだと思う。演劇を上演するために演劇をつくって演劇を愛する人々がみるとは基本的には何らかの共有の上に成り立つ行為だと考えられる。「あつまる」とは自分以外の他人と出会うことのようだが反面それは集まる人と集まらない人のあいだに境界を生むことでもある。演劇においても、共有されていない人は入っていきにくい集まりになる、というのは言い過ぎだとしても集まっている人はある程度同じ言葉を共有している人だろうということは言えると思う。他者との出会いとよく言われるが、他者と出会うには仕掛けがいる。演劇には異化と同時に同化の力がはたらくことも忘れてはならない。コミュニティ形成力といってもいい、その力は前向きに語られる時もあるが、常に線を引く危険もはらむ。

劇場的コミュニティの内側で自己の中の他者(問いと言い換えてもいいかもしれない)を掘り下げるのではなく、そこを出て既存のコミュニティに関わっていくことは、他者と出会うひとつの方法として考えられていると思う。もちろん昨日も書いたように劇場を出たとしても自己が問われるのだけど。そこに他者がいることは、自己にとって何か救いになるわけではない。けれど、他者にはたらきかけたいと思った時にはやっぱりどこかで足を動かすしかないのだと思う。

さてuniは練馬区の高松でプロジェクトを展開している。展開・・・展開しているのかな?あんまり展開(そういえばどちらも"ひらく"と読める)しているかんじがしない。この点についてふと思ったのが、もしかしたら練馬区高松は、少なくともわたしにとって他者ではないのかもしれない。江古田編を展開していたときの方が対象、具体的に市場の商店主たちとは一定の距離があったと思う。そこにはわたしたちの足場とは違う積み重ねがあり、すぐそばにあるのに知らないその場所に惹かれて一歩二歩と踏み込み、調査の上で演劇をつくった。また彼らは市場の閉場という町にとってのクライシスの当事者だった。わたしたちと彼らのあいだには距離があったが、だからこそどういう出会いを演劇という枠組みで構築できるか試行した。

もちろん高松には都市農業というトピックがある。けれど、実は高松とわたしたちの暮らしのあいだには距離がないのかもしれない。そこにはただ暮らしがある。電車に乗ればすぐ都心部に出れ、買い物はスーパーでし、立ち並んだ住宅の中の一軒に静かに暮らす。uniの関係者の多く(ちがったらごめんなさい)が首都圏の郊外住宅地域で都市の利便性の恩恵を当たり前のものとして享受しながら育ってきた。高松と、わたしたちそれぞれの暮らしと町。物理的な距離はあっても、実はほぼ同質なのではないか?都市農業というトピックも突き詰めると「暮らし」という話になるように思う。農の歳時記など今のわたしたちにはない発想もたくさんあるが、そういったものよりも圧倒的に物量として街並みを形成しているありふれた住宅が、21世紀の家族の暮らしが、農とわたしたちの間に存在しているのかもしれない。

他人だけども他者じゃない。他者と出会うという枠組みでプロジェクトを進めてきたけど、他者性が前景化してこないのだとしたら、わたしたちもその当事者である「暮らし」を再考することを避けては一歩も先に進めないのではないか?そういえば年度当初に、今年のテーマは暮らしでいいのかもしれないという話をした。実ははじめから選択の余地などなかったのかもしれない。そして高松の/わたしたちの暮らしを考えるとは、東京の暮らしを考えるということになる。高松と向き合うのではなく、より大きなテーマを考えていくそのパートナーとして高松の力を借りるという考え方もあるのではないか。そうなったときにきっと農はひとつのアプローチを提供してくれる。

もちろん意識の中ではそうでも、地域でのふるまいとしてはよそ者であることが求められると思う。また高松の暮らしとわたしたちの暮らしとは重なる部分もあれば、そうでない部分もある。その見極めは重要だけど、暮らし再考を経ないことには、違いに目を向けることはできないのではないか?だって、同じと違いの境界線がわからないのだから。

また集団における関係についての話を先送りしてしまった。それはつまりまだ手がかりが見つかっていないということかもしれない。

阿部

写真は田町駅から見た線路。田町は山手線で池袋から一番遠い駅だと知った。31分もかかる/で着いちゃう。

【追記】「まち」のプロジェクトだけど、キーワードは「家」かもしれない。

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