「その旅の旅の旅」 景をめぐる③ 11/14 南大塚(移動祝祭商店街 まぼろし編)

(ツイートをもとにまとめたものです)
含まれる景・・・8

13:30
「その旅の旅の旅」の景めぐり。大塚から再スタート。
の前に、佐々木文美さんの企画「みんなの総意としての祝祭とは」の顔はめパネルめぐり。
顔はめパネルという装置が生み出す変な磁場。はめることを促しているし、顔をはめていい場所(まち)ですというメッセージも発している。視線をあげれば常に、誰かが通行している。映像の中の景色、いま見える景色、顔はめで自らがなる景色と、何層か重なっているかんじ。景色側になる、ということが主体と客体の反転の感覚ももたらしてて、「みんな」を鑑賞するだけでなく、自分も「みんな」かもしれない、そうなったときに語られる「祝祭」との距離感も変わってくるような、そんなかんじがした。
ちょうど「搾取する」と「いただく」って、言い方変えただけで中身同じじゃん、ということを考えていたので、まなざす・まなざされるが入れ替わる体験は、すこし救いだった。
※閉幕しましたが、特設サイトでQRコードを読み取ると今でも諸々見られます。

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13:47
牛川さんの景8、天ぷらつづみでランチ。てんぷら魚定食。とてもおいしい。しゃわーという揚げる音が良い。独特のテンポでごはんが出てくる。おいしい。前にてんぷら野菜定食を頼んだら口の中をシリアスにやけどしたんだけど魚はそんなことなかった。野菜のほうが熱を保つのかも。
だいちゃんさんが、つづみの主人お店の外を歩く時よろよろだけど厨房ではしゃきっとしてると言っていたのを思い出す。

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佐藤さんの景8。この句はすごく好き。自分の、まちへの好きな感覚が詰まっている。ガリ版に特別解説ペーパーも登場してた。

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この五叉路はいいね。サンモールの中を歩くのは旅というより、観光地ってかんじ。熱海とか箱根を歩くのに似ている。
そう思うと、旅の本質はやっぱり移動、移ろい、変化にある。どれだけの距離を歩いてもディズニーランド内の移動はやっぱり旅にはならない。ゾーンを跨ぎ、境界線を超える体験。用途地域や都市計画と旅は、その辺でも深くつながってる。

杉山さんの景6。天祖神社。スケッチに同伴したとき、「俺が教えたるわ」といっておじいさんが解説を始めた。説明を受けた木々を見ていたら、一瞬のすきにおじいさんはいなくなっていた。「巨」と書かれた帽子を被ってた。
ここでも、杉山さんの品川についての言及がひっかかる。このイチョウが歴史を超えてきたということはわかるのだが、ことばを書いている人のパーソナルな裏付けが見えると「旅」のかんじが出てくる。

いい二又。のぼり道の左は日陰、平坦な右手は日が差している。

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新大塚方面へ。本物に巻きつけられた偽の花。

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14:22
山内さんの景1への地図がちゃんと機能するのかの確認。行ったことのない道の地図をつくるのはドキドキする。新大塚は父の会社にいくときの導線だったのでいつも車で見るまちだった。大塚からこんなに近いとは知らなかった。どこか知らない場所にあると思っていた。

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エデンという名前の喫茶は、あちこちにあったんだろうか。南長崎にもあったという。手塚治虫たちが通った喫茶店。

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この辺まったく知らないな

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すごくいい。

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南長崎からたち公園。柿が生えてる。公園の果樹の実を食べるのは公共の私有化にあたるというけど(だから食べることを禁じて捨てる自治体も多い)、この柿たちはどうなるんだろう。食べ物と公共は相性が悪い。公共空間とは結局「公」という個人所有の空間に過ぎない、みたいなことを佐藤信さんが評議会通信に書いてた気がする。俺の庭の柿を勝手に食うな、ということかもしれない。

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相対値の思考と、絶対値の思考について考えてたことをふと思いだした。3日以内にやる、と、早めにやる、の違い。数字で切るばかりだとストーリーが失われるけど、リアライズするには絶対値が欠かせない、お互いが補い合うような思考バランスでいたいなと思った。しかしひとりでは難しい。仲間がいる。

ヤツデの中にスズメバチがいた。スズメバチって、他の羽虫よりも単車みたいな動き方をする。ランダムに飛行せず、向かう方向がはっきりしているかんじがする。

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樹冠の美しいケヤキ。

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坂を登る人。

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14:50
山内さんの景1。超おもしろい。体験型の景だ。川という(見えないけど)実際にここにあるものをよりしろに、身体を使ってつかみとれという語り。わたしとまちの関係を景が結んでいく。

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地形、かたり、身体の心地よい共犯関係。山内景は現場で体験したほうがいい。坂道の意味が違って見えてくる。マンホールの音にも耳を澄ます。

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15:02
山内さんの景2。立ち止まって、じっと時計を見る、という時間を許す景。家で聞いていたのと、まちとでまったく体験が異なる。演技のための舞台があらわれる。ここで自分も待ってみたくなる。
語る人物より、その人物がこの場のものひとつひとつに与えた意味が、場に蓄積しているということが面白い。
物語をたのしむのではなく、場に彩色が施される感じ。味わうのはその場のほう。山内景を背骨にして、他の景にも触れて旅していくのはかなりおすすめだなー。
川を辿るという連続性と、切り取った各景のミクロな位置づけが二層になってるんだな。

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これが唯一残っている谷端川の擁壁のはず、と山内さんに教えてもらった。巣鴨小学校の壁。たしかに相当年代が経ったコンクリ。

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以前、取材のときには大きな穴だった場所に、建物ができつつある。日本の建築は長期間もつようにできていない、という話を聞いてから、まちの移り変わりに一喜一憂しなくなった。それでもね、ということは多々あるけど。

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15:18
杉山さんの景3。大塚三業通りは、今回の企画の出発点というかんじもする。

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とくさしさんの景2。空を見上げながら聴くと浮遊感がある。

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そのままトランパルに出て、とくさしさんの景1。音という方法が、体験をどう場と結びつけてるのかは、もっと考えたいな。場から切り取り、整形し、手を加え、投げ返す。全く違う作業としてラジオがあるような気がする。ここではないどこかに連れて行くもの。場を切り取るラジオの場合はどこに着地するだろう。

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どこかで休んでから、北大塚→池袋方面に行ってみよう。

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サンモール大塚の中は、まちというよりテーマパークだった。うちとそとを分ける境界線があって、その中に入るとアトラクションがひしめきあっている。大塚の放射状の地形も、エンターテインメント感がある。さまざまなものがまとまっているので快適だが、ここから、どこか遠くにでかけるには工夫がいるかんじもする。サンモールの外のことを忘れないようにしながら歩くと、あるいは何かの仕掛けを体験すると、この場所の特異性がより楽しめそうなかんじ。
サンモールを抜けて新大塚に向かうあたりで、また線路を渡って北大塚を歩いているときに、そんなことを思った。

グリーンインフラの用語で「撹乱」という言葉がある。洪水のときに水を逃すための遊水池は普段ただの緑地だったりするが、そこが洪水によって水没すると、生態系が一度危機に晒されたり、リセットされたりする。そのことがむしろ多様で、強靭な生態系を維持させるというもの。この「撹乱」の発想はグレーインフラ、つまりコンクリートでつくられたインフラにはない。
生態系と「撹乱」の関係、そのことを想定したインフラのありかたは、「移動祝祭〜」にとって何か参考になる気がする。

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