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FTディレクターズラウンジ、の後に浮かんだいくつか

昨日3月18日は、フェスティバル/トーキョーのディレクターズラウンジにお声がけいただき、ディレクターの長島確さんと共同ディレクターの河合千佳さんとお話した。新型コロナの関係でトークは配信になった。

テーマは「まちと演劇」。ここ6-7年、uniが取り組んできた練馬のまちなかでの活動をご紹介した。地域、参加、創作、公共空間、アーカイブなどのキーワードを軸にいろいろと楽しくお話させていただいた。

その場では頭の中で言葉がつながらなかったけど、帰りながら浮かんできた言葉がいくつかあったので、忘れないように残しておく。

■アーカイブについて

2014年の江古田編で冊子を作成した直接のきっかけは江古田市場の口述史をまとめることだったが、メンバーの努力(特にデザインを担う齋藤)によってこれまで3つのプロジェクト冊子をつくってきて感じるのは、ある時点のことばを残すことでいつか振り返りができること。過去の自分やメンバー、地域の人たちの言葉が、今の自分に指針を示してくれることがある。昨日もトークの前に2014年の冊子を読み返して、さまざまな感情やアイディアが渦巻いた。地域の人の語りにしても、当時は結びつかなかった点と点が結びついて浮かんでくる。例えば「昭和39年」と言われたとき、今は他のいくつかのまちの昭和39年が同時に浮かぶ。計画づくりで関わっている農村部の愉快なおじちゃんが地元の川で最後に泳いだ年が昭和39年、その頃江古田では・・・。歴史をひもとく楽しみは、年を取るごとに広がってくる感覚がある。過去はつねに新しい!

上演に来られない人たちにプロジェクトを届けるという機能的な面ももちろんあるけど、こうして未来の自分たちに向けて作っている部分もある。だから、みんなどんどんアーカイブを作ったらいいと思う。演劇をつくるのと同じくらい、本づくりは楽しい。そしてお金はかかるけど、紙はよい。

■「一緒にやりましょう」

「一緒にやりましょう」って難しいですよね、という話があった。分野や基準の違うひとたちが何かを一緒にやるとき、やりたいことがそれぞれある場合、主従や搾取が起こったり・・・。

そのことはずっと考えていて、演劇は道具なのか?演劇そのものなのか?という命題にも関わると思う。道具なのか、そうでないのかは視点の問題なので答えを出すことはできない。「道具」だと使役されているように感じ、「そのもの」だと社会的疎外が生まれるという、だったらどちらも選びたくないよ、という葛藤が問題なんじゃないかと思う。

ただ、まちづくりにしても舞台芸術にしても、「社会生活」「集住」「都市空間」「官僚制」「制度」といった土台は共有しているはずだ。ビッグピクチャーの中で見れば、例えば計画の方法論と作品づくりは似たプロセスを踏んでいる部分もある。スタート地点は常に生活で、人間で、この土地でしょう。生まれた瞬間から世界に埋め込まれて生きることを避けられない人間が、その世界のありようをどう捉え描くかというレベルでは、まだ近代的な学問領域や分野は未分化だ。生活という幹に対して、芸術と、その他のあらゆる領域は兄弟枝みたいなもののはずだ。幹の議論を重ねていけば、「一緒にやりましょう」問題を弁証法的に乗り越える道もあるんじゃないか? という時には、現実に転がっている諸問題をスルーしているので(一番は「時間」の問題じゃないか思う)、書生のたわごとかもしれないけど・・・でも、少なくとも計画の方法論とされているものは、現場のニーズや政策ではなく哲学の次元で考えないといけないと教わった。だとすると、計画論と芸術は兄弟のはず。本来は。

■どうしてまちに出るのか

直接のきっかけは昨日触れた通り、岩手県西和賀町の学生演劇祭であり、江古田の展覧会型のアートプロジェクトだった。だけどそうしたきっかけを経て方向にぐんぐん進んでいったのはどうしてかは、自分でも不思議だ。

記憶を遡ると、ひとつきっかけにあったのは2010年にフェスティバルトーキョーで池袋の西口公園にて上演された「パブリック・ドメイン」という参加型の演目だった・・・かもしれない。観客が俳優になり、通りすがりが観客になり、見る見られるがアンコントローラブルな状態にあった。これが当時やたら面白かった。観客・俳優のあいだに第三者がごく自然に介入してくるつくりに、装置としての演劇の可能性を感じた。演劇はその場にいる人のあいだで起きる、ではどんな人がいる場をこしらえるか?という風に考えた。そして寺山修司をテーマに卒論でも市街劇についてなんやかんや書いた。地下演劇のバックナンバーを読み漁り「ノック」や「人力飛行機ソロモン」「イエス」について文献から追った。同時に八雲国際演劇祭などの住民参加の舞台芸術のあり方にも出会った。ゲリラ的な方法ではダメだと感じた。演劇で社会を変えていくなら、参加のデザインが必要だと。

そんな背景もあって、まちなかでやるならその周囲の人たちと一緒にやりたいと思ったのだと思う。そうして、まちの面白さに出会った。普段歩いている風景に全くの未知が広がっていた。彼らはむちゃくちゃだった。嘘みたいな話ばかり聞いた。嘘もあったのかもしれない。けどそんなことは大して問題じゃない。上演のためのネタ集めという面が消えることはないが、地域や生活にダイブして、人、人、人を渡り歩き、未知の出来事が掘り起こされる、コミュニティにささやかに介入する、その上で作品という装置を仕掛ける、という一連のプロセスに創作上の関心が注がれた。まちは異質な他者の集合だ。ハーバーマスがいう成果志向型のコミュニケーションは通用しにくく、諒解達成型のコミュニケーションが求められる。結果的に創作プロセスにコミュニケーションが織り込まれていく。それが、結果的にここ数年のuniのスタイルになった。繁華街ではなく落ち着いた住宅地で活動してきたことも関係していると思う。演劇をつくる以上ものを言うのは作品だが、自分が喜びを見出しているのは上演に到るまでの一つ一つの化学反応であり、そうした装置=演劇を立ち上げることだ。

まちというカオスでは予定外のことが起きたり、話がまったく噛み合わななかったりすることもあるけど、でも、それは人の数だけ常識やリズムがあるということだし、そうした幾千万の噛み合わなさを取り込むことで生まれる演劇がいいな、と思う。一種のブリコラージュかもしれない。でもカオスの中で時間をかけて何かしらの諒解が醸成されていって成立する演劇は、尊い、とわたしは思う。

写真は雪の残る群馬県。人の住む場所と住めない場所がくっきり。

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