「その旅の旅の旅」 景をめぐる① 11/11 南長崎→要町(移動祝祭商店街 まぼろし編)
(ツイートをもとにまとめたものです)
含まれる景・・・17
17:55
絵画みたいな鱗雲を見ていたらなんとなく街に出たくなり、いまから景をめぐることにした。荷物は少なめ、歩きと走りで。写真は家の前と、近くの坂道。濃紺の空が美しい。着替えも持ったのでどこかで銭湯に寄りたい。
工場と夜空。空の色が深い。
そろそろご飯が炊ける頃かな。炊飯器のスイッチを入れたのに家で食べないということをよくやってしまう。スイッチを押す時点でそうなる予感はしていた。
別の場所で同じUFOを見つけた。
牛川さんの景1(ではない)。
時が止まってる。これたまらないなあ。空の色と、切れかけた電球の予定外の灯り。
18:18
やきとりキングでハムカツを買う。ここは景シートを置かせてもらっている。よく缶ビールをくれる。
西武線を渡って、五郎久保稲荷の遊具に座って食べる。
ここは一瞬景の候補にもしていた。境内が妙に広々としているが、その奥の路地がおかしなことになっている。前に来たときは保育園のこどもたちがカートに乗せられ連れてこられていた。保育士さんが代参していた。
18:36
南長崎通り(というらしい)に出て、杉山さんの景8『清戸道』。岩崎家の前。
自分が景をつくっているときは同じ時間帯の訪問・鑑賞が念頭にあったが、景色のよく見えない夕暮れに訪れても楽しい。
昼に旅したのは杉山さんであって、自分の旅は、いまこの時間なのだから、それで何かが体験できなかったということにはならないということが改めてよくわかる。かえって旅の重なりを意識した。
夜歩き、いいかもしれない。よく見えないということは見たいものにだけ照準を合わせられるということだし、人の視線もあまり気にならない。
添えられた杉山さんの言葉が妙に沁みる。学生時代に三鷹に住んでいた話。いまはここにいない旅人の不在を体験しているかんじ。
タイルが虹色に光ってる。
18:42
自分の景1『南長崎花咲公園』。二ヶ月前のことか。一夏放置されてたキックボードはなくなったみたい。あのときはヒヨドリが鳴いてたけど、いまは虫の声。
自分で言うのはおかしいけど、周りを見渡し、ぼんやりするための小道具になってるかんじがする。景シート。手持ち無沙汰解消のための処方箋、景シート。いま、大量の反射板をつけたおじさんがトイレに入っていった。
正面のベンチにはいつも誰かが座っている。
このベンチから見る公園の画角はちょっと劇場みたい。オールビーの「動物園物語」がはじまりそうな気配。
松葉。いいあかり。
18:55
本物の牛川さんの景1『南長崎のUFO』。こっちはツノが一つだ!しかもぼろぼろ。
わざわざ紹介されると触れたくなる。コンクリ遊具に触ったのは何年ぶりだろう。入る勇気まではない。
我々がおすすめルートとして用意した道に沿わず、牛川景1のあとそのまま路地をいく。これだけ対象地域が広いと、行くたびにひとつは新しい道を通ることになる。(なっている)
旧目白通りと目白通りのあいだには、やわらかく脆い住宅地が広がっている。
牛川さんのテキストを交差点に立って読むと味わい深い。なんともいえない味わい、なんだろう、言葉にしにくい。でもすごく味がでる。
八街ということばに実態が宿るかのよう。ここにいた旅人の輪郭を感じる。
佐藤さんの景1『かの旅の』。杉山さんや牛川さんの景の体験とは全然違う。俳句の面白さは「今ここ」ではなく、「今ではない・ここではない」なのかもしれない。いまこうしてタイプしているときに句と、自らの旅とを頭に浮かべているときが楽しい。時間差で経験されるもののように思った。
現場では鑑賞より穴埋めが楽しい。埋めるにたる何かを探してきょろきょろする。見つからないので歩き出す。
この旅は「句が生まれる」ことを味わう旅で、「句の鑑賞」は、もっとさまざまなタイミングがあるかもしれない。
「秋の雲西瓜もってあらはるゝ」
この交差点を、こうして少なくとも4人の旅人が通ったということ自体を感じられるのが楽しい。今も目の前をたくさんの人が通っている。
まっすぐ。
2℃。
19:29
佐藤さんの景2『白露』。名詞よりも動詞の穴埋めのほうが難しい。
水気のないことばを入れたいと思いつつ、浮かばなかった。
山内さんの景8『宮南橋』。
語りが「騙り」に聞こえる。ほんとかいな?と思いつつ聞く。そのウソ感と、空間のリアルさのコントラストが面白い。定点映像なので、あまり熱心に映像を追おうとはしない。どちらかというと実空間を見ていた。山内さんが語る方向についていかず、積極的に山内さんがいない方向に意識を働かせることで、結果として感度が上がるという、変な体験。
そばの遊具で黒人男性がアクロバットなストレッチを始めた。
19:48
すずらん通りの鳥昇で角打ち。やきとりとビール。
とくさしさんの景6『椎名町 すずらん通り』。
人の声が多く入っているから、他の場所以上に「いまのことではない」かんじがあるのだけど、耳元で声がすると振り向いてしまう(誰もいない)。音の幽霊を聞いてるようでもあるし、自分が幽霊になったようでもある。彩色に「不在の存在感」を感じる。夜というのもあるかも。
ロッテリアによってメールを返したりしていたら、杉山さんの景5『長崎神社』に立ち寄るのを忘れる。
そんなときミスった、と思ってしまわないようなセーフティネットがあるとよさそう。
20:34
杉山さんの景2『椎名町 谷端川跡』。
妄想だからか、ありありと立ち上がる、ということはない。けれどアパートから聞こえてくる誰かのシャワー音が意味のある音に聞こえてくる。
つづけて牛川さんの景2『谷端川の行き止まり』。
場の面白さより、杉山さんと牛川さんの二人がここを選んだ、そして杉山さんが描いたその先に牛川さんは進んだ、という状態が面白く感じる。複数の旅人がイメージの中でだけ交差する。
引き返して要町方面にすすむ。
寒くなってきたところで前から気になっていたラーメン屋に着く。醤油ラーメンで暖をとる。カップ麺が飾ってあったので有名店らしい。
概念としてのフルメタルジャケット。
そして佐藤さんの景3『のびすゝみ』。
こういう機会でもなければ、花も咲いていない藤を夜みることはなかったと思う。若い葉っぱが水銀灯に照らされ透けていた。
21:20
要町通りと山手通りの交差点を、千川方面にいく。さまざまなあかり。
21:30
杉山さんの景1『粟島神社』。
夜なので池の様子など全然見えない。でもマンホールからさんさんと水の流れる音がした。
近くの夏蜜柑の木が面白かった。
そのまま千川駅に進んで、自分の景2『千川駅前駐輪場』。
親子も高校生もいないけど、スーパーは輝き、信号は今日も仕事をしていた。
時間によって変わる要素と、かわらない要素があり、要素間の相互関係もある。景をみる視点や味わう体験はやっぱり計画学や行動分析と裏表だと思った。
ここまで10個ちょっとの景をめぐって分かったことがたくさんあった。
間に合うものは対応するとして、新しい問いとして、旅の終わりをどうするかっていうことを考えている。旅仕舞い。そこになにかすごく面白いことがあるような気がする。
引き返して要町へ。歩くたびに迷っているが、今回も道を間違えて変なところにいってしまった。
新宿のドコモタワーが見える。
22:10
佐藤さんの景4『我らの恋』。富士塚は真っ暗で全然見えなかったけど、公園自体が面白い。公園と史跡と住宅が混在している。回転遊具って全国的に撤去されたんじゃなかったか。
この景は、俳句と場のつながりを見出すのが1〜3以上に楽しかった。単純に静かで、鑑賞を邪魔するものがないのが大きい気がする。誰も通らないし、何も聞こえない。
鑑賞が面白くなり穴埋めを忘れる。
要町のぐにゃぐにゃ道を抜ける。このあたりも景候補だった。
そのエリアは本当にすごいと思う。要町は古い道特有のわかりにくさと、新しい道特有のわかりにくさが混ざって、相当レベルが高い。地図で見るとそう感じないのだけど、アイレベルではすごい。
22:24
山の湯で銭湯に寄る。おじいさんがふたりいた。
迷路を抜けてたどりつくこの銭湯は、メルヘンチックな内装も相まって、竜宮城的なシークレットプレイス感がある。裏手に廃材がたくさん積まれていたので、多分薪でわかしている。
22:53
自分の景3『要町1丁目27』。このあいだまで茂っていたオシロイバナが撤去されていた。あとは変わらず。何も持たないときより、景シートをもっていた方がステイしやすい気がした。
えびす通り商店街を抜けて、山手通りに戻って、谷端川南緑道へ。
山内さんの景6『境橋』。
ここでも意識は語られている内容の逆方向にはたらく。家で聞いているときは同化作用を感じたけれど、まちで聞くと圧倒的に異化。でも足元には本当の川が流れていて、結果としてそのリアルさが迫ってくる。
写真が半端なくぶれた。
山内さんの景7『高松橋』。
6と比べると語りの内容が入ってくる。自分と似た境遇の話だからか。
がさっという足音が後ろから聞こえて、はっと振り向くが誰もいなかった。画面の中の人の足音だった。
23:15
要町駅から電車に乗って帰宅。12.5km。
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