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生活の速度

新宿駅の小田急乗り場の近くの立ち食いそばで牛おろしそばを頼んだ。疲れていて目のピントを合わせることすら投げやりにしていたら、つゆに浮かぶ油分にどこか港町の夜景を見た。

最近自分の暮らしが「はやく、はやく!」になっていることを感じる。とはいえ人間そうそう速さは変えられないので、休む時間を減らしてできる限りの時間を使ってやるということになる。120%の成果をあげられない自分を自分自身で責めつつ、夜は眠くなってしまうので眠る。まあそれは、これまで0%の日もあっていいよね〜とぼんやりした生活をしてきたツケな訳なのだけど。

この「はやく、はやく!」が一体どこからくるのか、得体の知れなさを感じるときがある。心の声に急かされて費やした時間と体力はどこに消えていくのだろう?これが畑作業や漁業だったらわかりやすい、目の前の物に反映されるから。だけど貨幣というものがあり、会社や社会というものがあり、似ても焼いても食えないものに価値が集中した結果、底なし沼を歩いているような感覚を覚えることもある。

週末に畑仕事をしたりしてリフレッシュできる人はきっといい。だけどたくさんの人が、他の選択肢もないまま、底なし沼を進んでいるんじゃないかという気がする。特にお金のない若い人々。選択肢はお金によって生まれる。お金を得るために沼を行く人は、結局当分沼からは出られない。

町には畑みたいな機能を期待しているのかもしれない。そこには変わらないものがある、立ちもどれる何かがある、と。だけど今や町も「はやく、はやく!」変わっていく。生活の速度をチューニングする場所がなくなっていく。だから悲しい哉、在りし日に思いを馳せてしまうのかもしれない。自分にとって在りし日の江古田は2014年みたいだ。ついその頃と今を比べてしまう。誰かにとっては今の江古田も在りし日になるんだろう。けど、一度自分の中に在りし日として染み付いてしまうとなかなか更新ができない。

町はスローであってほしい。逃げ込める場所であってほしい。わたしたちは、時折でも自分の暮らしからエスケープしないと、生活に耐えていけないような気がする。

写真は、お志ど里の跡地のセブンイレブン。まだ自分は変化を優しく受け入れるだけの心の余裕がない。

阿部

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