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和田屋となみき

江古田にある、和田屋という大衆割烹が静かに閉店していた。貼り紙も出てなく、江古田の知人から耳にした。行けるうちに行かないと、と常々思って何かといくようにしていたが、それですら、気づかぬうちになくなってしまった。

歴史を感じさせる門構え、中の見えないすりガラスで、学生の頃には入る機会がなかった。初めて入ったのは25才くらいの頃。気が置けない店だった。しゅうまいとアジフライとモツ煮がおいしかった。酒が名前ではなく等級で書かれていて、300円もしない「佳選酒」は必ず次の日残った。冬場は湯豆腐。寒いからという理由で、床に火のついたガスコンロが置かれていた。余計なものは何もなかった。スーツを来たおじさんたちが、断続的に出入りするお店だった。このおじさんたちはどこで働いている人たちなのかよくわからない、けど、和田屋がなくなった後行くところはあるのだろうか。モツ煮が食べられるようなお店が江古田からどんどんなくなっている。

駅の北口を出たところにあるペットフレンドなみきのお母さんも、つい先日亡くなった。ここは観賞魚のお店で、小さいときから我が家はここで金魚を買い常に2匹ずつ飼っていた。定期的に水草やフィルターを買いにくるのはこのお店だった。両親と同居しなくなっても、うちでは金魚を飼い、なみきにお世話になっていた。

まちからある日突然人が、店がなくなる。それは自分の知っている人や場所がなくなると同時に、私を知っている人や場所がなくなることでもある。母校の前の道も長きにわたる拡張工事が終わり、見たことのない景観になった。少しずつ知っていったはずが、少しずつ知らないまちになっていく。ブランニューなこの町での振る舞い方は、まだわからない。けれどいつか「あの頃タピオカ屋さんが二軒あってさ」「この頃、駅前のビルまだ建ってなかったんだよ」「BEBEっていう何でも屋があってさ」となにもかも昔話の世界になっていくんだろう。江古田には山も海も川もない。江古田の街並の耐用年数は、きっとそうした自然の景観よりも短い。人間の寿命とビルの寿命はどっこいどっこいだ。だから、ここでは人の死とまちの変化を切り分けられないのかもしれない。

週末には盆踊りが開催された。死者を弔う絶好のシチュエーションで、集まった人はただ思うがままに踊っていた。それが江古田の心地よさだし、寂しさでもある。出入りの自由さ。ふと、去る。せめて見送りだけでもしたい。

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