弘毅の資質の重要性

 はじめに徳川家康の遺訓を紹介したい。有名な言葉なのでご存知の方も多いと思う。
『人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば困窮したるときを思い出すべし。堪忍は無事長久の基(もとい)、怒りを敵と思え。勝つことばかり知りて負くることを知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり』
 コロナ禍で不自由な生活を強いられ、望みを高く持ちたいのに、我慢をせざるを得ない現状を鋭くついている。特に後段について、渋沢栄一の解説が非常にためになったので、紹介したい。(三笠書房発行、渋沢栄一原著、竹内均編、渋沢栄一「論語」の読み方、より)
 おのれを責めて人を責むるな、は、これも家康が実行したことだ。責任の重い者は衆知を集めなければならない。人の長所をとり短所を責めず、その器に応じて使えばうらみの声も出ず、おのおのがその力を発揮してくれる。
 おのれを責めるのは謙譲の徳である。謙譲ならば人は敬ってくれる。驕慢ならば人は憎む。人に憎まれては遠い道を行くことができない。
 家康に四天王がいて旗本八万騎がいた。これは家康の寛広な人となりで、人を責めず自分のいたらない点を責めた結果といえよう。
 物事は中庸を得るのが第一だがこの中庸を得ることは至難である。中庸を得るためには、過ぎたるよりも及ばざるをよしというやり方もある。やりすごしたことは取り返しがつかないが、足りないところは後から補足することもできる。
 この遺訓の貴重な点は、すべて論語の説に基づいていることだ。しかも漢文の論語を平易な通俗分に書き下している。しかもことごとく家康の自ら体験したことばかりで、学問あり、思慮あり、見識あり、忍耐あり、節制あり、自分の力で自分の運命を開拓した成功者の、実体験から得た知恵の結晶というべきものである。

 なるほどそうか。それでは、このあたりのことを論語にはどう記されているのだろうか
『曾子(そうし)曰く、士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁(じん)以て己(おの)が任となす。また重からずや。死してしかしてのち已(や)む。また遠からずや。』【泰伯】
 これについての、渋沢栄一の解説文は、いやしくも人の上に立つ男(士)は弘毅でなければならない。弘は大きいという意味で、その器量の大きく広いことをいう。小さいことにあくせくしたり、つまらぬことで立腹したりしてはいけない。毅は強く断行できる意味で、強く忍び堅く耐え、堪忍に堪忍を重ね、最後に断行する。たとえ学問があり知識があっても、この弘毅の資質がなかったならばとても男の仕事を果たすことはできない。
 男の仕事とは何かというと、人間最上の徳である仁の心を体してあらゆることを遂行することである。一国についていえばその政治を正しく行い、一家であればその家内をよく整え、また会社などの集団では、その社運を大きく正しく発展させることである。その任務たるやまことに重いものである。堅い意志と最後までやり抜くという気魄(きはく)を備えていなければ、これに耐えることはできない。(中略) 上に立つ男の任務を完全に尽くすためには、生のあるかぎり努力し奮闘しなければならない。死んではじめてその責任が解除されるのである。だから士の行くべき道は責任が重くてはるかに遠い。これより遠い道はあるまい。
 いかがだろうか。渋沢栄一はこれ程深く論語を読みこなしていたので、論語に基づく経営が出来たのであろう。我々は到底及ぶべくもないが折に触れ論語に親しむことで、多少なりとも精神を鍛練していけるのでなかろうか


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?