商売とは饅頭の凄まじい奪い合い

 商売というのは、本当に生き馬の目を抜くようなものです。小俗吏の才じゃありませんが、商才、才覚があって気が利いて、悪さをしかねない奴はうんといます。同業者もいくらでもいます。油断をすれば何もかも失いかねないのが商売です。その中で、私は従業員みんなを幸せにしていかなければならない。私はそれを、こう例えてみたのです。食糧難の時代に育ったせいもあってか、饅頭を例にしたものです。
 餓鬼道に落ちたお腹を空かしたワルが、テーブルの周囲を取り囲んでいる。そのテーブルには饅頭が落ちてくるようになっている。ただし、いつ落ちてくるかは分からない。テーブルを取り囲んでいるワルどもは、いつ落ちてくるかと目を凝らして待っている。さあ、バサッと饅頭が落ちて来た。汚い手が周囲からワーッと何十本も出て来る。それも、饅頭の上に手を置いただけでは、これは俺のもん、というわけにはいかない。置いた手の上にまた手が出てきて、そいつが饅頭を引きちぎっていく。だから、手を出して饅頭をつかめば、瞬間に引っ込めなければならない。つかめばすぐ、口の中に入れなければならない。でも、飢え死にしそうなくらいお腹が空いている連中だから、そんなことは頭で考えなくてもいい。自然にパッと手が伸び、饅頭を取ったや否や瞬間、口に入れてしまう。
 そんな連中が群がっている中にひとり、私がいるのです。私は従業員の幸せのためにというわけで、私の後ろには従業員がいます。だから、つかんだ瞬間に口に入れるわけにはいきません。つかめば、それを後ろに回して、みんなで分けなければならない。しかし、分けている間に、饅頭を他の奴に取られてしまうわけです。
 それよりも、まず饅頭をつかんでくることができません。周りにいる連中は本能で、饅頭が落ちてくれば反射的に手が出ますが、私の場合には、全従業員の物心両面の幸福をと、理性でそれを考えています。理性に一旦入れてから行動を起こすと、ワンテンポ遅れます。しかし、私の後ろにみんなが待っているのに、年中、一手遅れてしまってはいけない。そうすれば、理性で考えているけれど、それを本能のところまで速くしようと。でなければこの世知辛い商売の世の中では生きていけない。あの連中は自分がひもじいから、自分が食いたいために手が出るんだけど、俺の場合はひもじい奴が50人もいるのや、あんな1人の奴のひもじさに負けられるかというので根性を入れよう。きれいごとで考えればきれいごとになってしまって、どうしても遅れる。それを逆に50人の腹を空かせた連中が待っているんだから50倍の速さにしなければ、と思ったことを、今思い出します。
 きれいな心というのは、自分のところが儲からんでもいいというものじゃありません。5人でも10人でも20人でもおられる従業員を幸せにしていくためには儲からなくてはいけません。そして会社が立派にならなきゃいけません。
(日経トップリーダー 2022.12月号 稲盛和夫の言葉より)
 長い引用で恐縮です。氏が常に説かれるきれいな心というのを、解説された具体的な記事に初めてお目にかかりましたので紹介しました。 
 商売は饅頭の奪い合いだから喧嘩腰でいいが、その中で実際に喧嘩をするのではなく、創意工夫をすることが大事と説かれているのかと思います。上に立つ者は私欲のためだけに稼いでくるのではなく、ついてきてくれている社員のために、安心して会社を支えて貰えるようにしなければならない、ということかと思います。
 経営者として成功をする方は、学歴はたいしたことがなく、昔やんちゃだった方で、物怖じせず、感謝の心や利他の気持ちの強い方が多いと感じていましたが、なる程と腑に落ちます。
税理士・中小企業診断士 安部春之

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