倒木更新

 4月14日の毎日テレビ夕方6時放送の世界遺産は屋久島だった。元西郷どんの鈴木亮平が2週に渡り屋久島を探検する様子を映していた。 
樹齢3,000年を超える屋久杉の大木をカメラが捉える中で、あちらこちらに古くなって倒れた倒木が映し出されていた。そこから色んな植物が新たに生まれて来ていたが、ひと際大きい杉の木が倒木を栄養にして力強く育っているのが見えた。それを見て鈴木亮平が発した言葉が印象に残った。
 「ここは生と死の境目がない場所ですね」と。
 それを聞いて非常に驚いた。この言葉は見事に言い得ている。これこそが連綿とした命の継承ではないか。
 これを表す言葉は昔経営コンサルタントの先生に聞いたことがあると思い、探した。広辞苑には無かったが、携帯辞書を調べてこれとピッタリの四文字熟語を探し出した。それが表題である。ウィキペディアによると、倒木更新とは、寿命や天災、伐採などによって倒れた古木を礎にして、新たな世代の木が育つこととある。
 これは、事業経営にも言えるのではないか。先代が築いた事業や財産を足掛かりにして、二代目がそれを糧にして色々な事業を始める。その中では倒木は栄養を与え続けている。たとえ身体は無くなっても魂は死んではいない。倒木から栄養を与え続けられなくなってはじめて死を迎える。しかし、その新しい芽には倒木の遺伝子が充分に受け継がれているから、厳密には死んでもいない。正に生と死の境目がない。
 1,000年、2,000年を生きた屋久杉は、倒木になってどんな遺伝子を残すのだろう。大きな台風が来てもびくともしない強い力を与えていそうな気がする。
 事業承継は引き継ぎのタイミングが非常に難しいという。いつまでも社長の座にこだわると、新しい芽が育つタイミングが遅くなる。ひ弱な木に育つかもしれない。そういう意味では事業承継における倒木更新は、木の栄養のある間に早めに引継ぎをして、裏から栄養を与え続けることではなかろうか。若い芽が育つのをじっと待ち続ける勇気が必要だ。
 昨年暮れに亡くなった、伊集院静氏の本の中にも倒木更新に似た言葉がある。
 「親が子供にする最後の教育は、彼、彼女の死である」 親が子供にできる教えや、教育はさまざまだが、“親が子供にする最後の教育は、彼、彼女の死である”と言う人がいる。つまり自分が死ぬことで、そこで初めてはじまり、初めて教えることができる教育があると言うのである。この教育の意味も、私は今まで何度か実感しているが、―― そうか、このことを父は私に言おうとしていたのか ……。と初めてわかる教育は大変、意味深いものであったりする。
 父と子であれ、母と娘でもかまわぬが、人の死はテキストや教科書とは違い、寡黙の中の言葉であるから、人々の内面にたしかなものを刻むらしい。
 「いいか、失敗、シクジリなんて毎度のことだと思っていなさい。倒れれば、打ちのめされたら、起き上がればいいんだ。そうしてわかったことのほうが、おまえの身に付くはずだ。大切なのは、倒れても、打ちのめされても、もう一度、歩き出す力と覚悟を、その身体の中に養っておくことだ」 いずれにしても生半可なものは少ないのである。(風の中に立て、伊集院静著、講談社発行)
 伊集院静氏と言えば、若くして前妻 (夏目雅子さん) や、弟さんを亡くしているからこそ味わい深い言葉を出せるのだろう。そして氏のこの言葉も私が非常に好きな言葉だ。「人は病気や、事故でこの世を去るのではないと私は思っている。人は寿命で、この世を去るのである」。

税理士・中小企業診断士 安部春之

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