「コレジャナイ」。 内なる声に従って、ベンチャーに飛び込んだ戦略コンサル
話を聞いたらいろいろ出てきそう。なんだかほじりがいがありそうだ。ABEJAには、そう思わせる人たちがいます。何が好きで、どんなことが大事だと思っているのか。そんなことを聞き書きしていきます。
今回は山本直樹さん。コンサルタント会社の「パートナー」だった58歳のとき、ABEJAに移りました。給料は10分の1に。だけど本人は自分の心に正直に従ったと言います。
なぜ?話を聞きました。
「コンサルタントってSEと同じじゃないか」天狗からの挫折
ーー日立製作所の技術者だったそうですね。
山本:日立には1995年まで10年いました。バリバリのエンジニアというより、ふわっとしたものをコンセプトにまとめて新規事業を提案するのが仕事でした。
大きなプロジェクトにもかかわれて面白く働いていましたが、その間、3億、5億もする大型ホストコンピュータから数千万円規模のクライアントサーバにとって代わって市場が縮み、同時に外資のベンダーが日本になだれ込んできました。
すると、3回に1回は受注できていた私の提案書が、全然通らなくなって。
コンサルティングという仕事を知ったのはそのころです。顧客の要求を明確化してソリューションにまとめ、プロジェクトを管理する仕事だと聞いて、自分がしてきた仕事と同じじゃないか、と思いました。でも給料はうんと違うという。いくつか回ってフィーリングがあったのがA.T.カーニーでした。
ーー仕事が似ていたとはいえ、組織の文化も価値観も違ったと思うんですが。
山本:そうです。コンサルタント業界では“Up,or Out”という言葉があって、実績を上げないとアウト、やめて去らなければならない。
新卒の「ビジネスアナリスト」から役員待遇の「パートナー」まで5、6の職階があるんですが、僕は中途入社だったんで「アソシエイト」で入り、1年後には「マネージャー」に抜擢されました。「コンサルタントって偉そうにしてるけど、やっていることはSEと何も変わらないじゃないか」と、天狗になりました。
でもね、挫折するんですよ。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いでグローバル展開していた日本企業の社長に直接会って戦略を提案するチャンスがありました。
一生懸命作った僕の提案を聞き終えた社長は一言「分かった。ありがとう」。それで終わり。「つまらん」と言われたのと同じです。「このロジックが」と粘っても取り合ってもらえませんでした。
コンサルティングは提言内容が勝負です。経営者の琴線に触れる課題提起、それに対する解の考え方、枠組みがないと話にならない。
「エンジニアとは違う」と痛感しました。挫折知らずの全能感満載のままでいたら、すぐ「アウト」になっていたと思います。
フカフカの絨毯の上で未来の話している場合なのか
ーー役員待遇の「パートナー」までいったのになぜ転職を?
山本:日立からカーニーに移った時と同じで、やりたいことと実際の仕事との間のズレが大きくなってきたからです。僕は戦略やコンセプトを提案したかった。でも実際に売れるのはコストの削減や合理化策ばかりでした。
僕がパートナーになる頃には、かつて大きなプロジェクトに一緒に取り組んだ顧客企業のエースが社長・役員に昇進し、電話やメール1本でパッと会えるようになっていました。
でも、フカフカのじゅうたんが敷かれた部屋で「今度のダボス会議ではこうだった」「人生100年時代、どうあるべき?」「資本主義の将来をどう思う?」と聞かれるうちに「コレジャナイ」という思いが自分の中からこみあげてきました。
これだけ社会の変化が早まっているのに、そんな先のことだけ考えていていいのか?技術を生み出す現場に身を置かないと、自分は”dinosaur”(時代遅れなもの)になる、と思いました。
若者が大半のAIベンチャーに、60歳手前で飛び込む
ーーそこから動き始めたんですね。
山本:そうです。最初は事業会社のコンサルティング職を探していました。技術にも触れられてバックグラウンドも生きるだろう、と。でも話を聞くと、あまりカーニーと変わらない。
ここで、そういえばスタートアップというのがあったなと気づきました。サーチファーム経由で10社ほど当たると半分は断られました。残りの半分は「ぜひ来てください」と返事をいただきましたが、そのうち4社からは「顧問で」と言われた。
でも僕は現場でビシバシ提案書出して「これ駄目だ」って言われたり、勝ったり、新しい事業を起こしたりできる仕事がしたかった。
10社の中で「へぇ、そんなことやりたいんですか、そのご年齢で。変わってますね」と言ってくれたのはABEJAだけでした。
ーー山本さんが「ここ(ABEJA)に来てからおぼれないように泳ぎ続けてる」と言っていたと聞きました。
山本:ここに来たら、周りはみんな若い。60歳近くで入ったら、普通は腫れ物に触るような扱いを受けそうですが、幸いなことにそう感じずに過ごせています。みんな大人です。むやみに干渉しないけれど、困っていたら助けてくれる。
ただ、僕はテクノロジーに関する知識はまだキャッチアップ段階で、顧客対応に苦労することもあります。自分が作った提案書が売れるのは嬉しいけれど、自分が売ったつもりのものと、向こうが買ったつもりのものとの間に齟齬が生じることもあります。
コンセプトを練るコンサルに期待することと、実装を担うABEJAに期待することは当然違います。その点は苦労しています。
この30年間を振り返ってベルリンの壁が崩壊し、東西の冷戦が崩れ、日本のバブル経済が崩壊して、September 11があり、3.11が起き、世界は大きく変わった。けれど、自分自身はそれほどジャンプしてる気がしてなくて。
今度こそ変わろうと思ってABEJAに来たけど、また提案書を書いてる自分がいて「なんだ、同じことをずっとやってる」と思います。それが、不幸だというのではなく、非常に楽しいからやっているんですけど。
「戦略」よりも「手を動かす」ことが求められる
山本)若いエンジニアと企業を回って話を聞くと、社長さんたちはみな困っています。会社が成長しなくなっているから。成長しなくなると怖いのは、みんな失敗を恐れてチャレンジしなくなることなんです。
ある企業の社長さんから「泥のついた大根を食わせてくれ」と言われたことがあります。「自分のところにはみんな綺麗にむいた大根しか届かない。泥つき大根を食わないと世の中が分からなくなる」って。つくづく「そりゃそうなるだろう」と思いました。
これまで当たり前と思われてきたものの存在が問い直されています。「金融機関」も、私の専門だった「戦略」すらもその存在価値が問われています。
PlanよりDo、「手を動かして考えながらやっていこう」という流れに変わってきている。
やる前に一生懸命計画を立てるより、やってみて修正することのほうが、よっぽど大事。となると、そもそも「経営が要るのか」という問いがあってもおかしくない。
こういう考え方はコンサルティング用語で「アダプティブ」と呼ばれています。試行錯誤しながら環境に順応していくという意味です。
変わりながら「変わらない自分」も見つける
ーー山本さんも仕事の変遷でアダプティブを実践されてますね。
山本:そうですね。でも世の中に合わせて自分が変わりながら、変わらない自分をどこに見つけるか、というのはとても難しいです。
ーー「コレジャナイ」という声にしたがって、場所を変えた。
山本)若いと当然「どう見えるだろう」って気になります。どう見えるかが気になってしまうと心が発する声が聞こえなくなってくる。内から湧いてくるものに耳を傾ける、それはすごく大事です。
応用物理の世界で「衝突断面積」という概念があります。断面積が広いと、何かと衝突する確率が高くなる。小さいならぶつからないけど大きかったらボコボコぶつかる。衝突すると痛いんですけど、反応も生まれます。
僕は、自分の中の衝突断面積をいつも大きくしていたいと思っていて。大きな畳みたいなのを持って歩いてたら、必ず何かとぶつかるじゃないですか。
僕自身の衝突断面積が大きかったからここと知り合えた。痛いのを恐れず、広く構えておくことを大事にしたいな、と。
ダニエル・ピンクの「ハイ・コンセプト」という本に、「無限に続く平凡な日常の中に意義を見出す」という内容のフレーズがあって、目を見開かされたことがあります。
無限に続く日常の中に意義を見出す、これは英語で言う”appreciate”ですよね。Appreciateっていう言葉がすごく好きで。「感謝する」と「鑑賞する」という意味がありますよね。
音楽の鑑賞と、こんな素晴らしい音楽を弾いてくれた人、作曲してくれた人、ありがとう、という気持ちは非常に近いわけですよ。そういうの、いいなと思うんですよね。
(取材・文:錦光山雅子 撮影:川しまゆうこ 編集:川崎絵美 動画:神山かおり)
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