お金が無くなったら、この世界はどうなるのか?という問いに対しての答え。
久しぶりにnoteを更新します、あべこうです。
今、現在進行形で「お金が無くなったら、この世界はどうなるのか?」というテーマで対話をしています。まぁ、何名かの方が一気に話すので、自分の考えをすべて伝えることはできないと思い、noteに書きます。
※ところどころ口が悪いかもしれませんが、ご了承ください。
対話の始まり
そもそも、対話の前提として、前澤さんの以下の記事を引用し、「お金が無くなったらどう思いますか~?」という流れから話は始まります。
上記の記事を要約すると、前澤さんは
「世界を平和にする方法は、世の中からお金を無くすことだ。お金が無くなれば、人がお金の存在によって忘れかけていた、何かを作ったり提供してくれる人に対する感謝や敬意の気持ちを取り戻し、より感謝される世界になる」
「お金が原因で、自殺される人もいれば、戦争が起きることもある。貧困もお金の問題だし、飢餓もテロもお金があればほぼほぼ解決することができる」
と書かれています。
結論:かなり前提が変わるが幸せになると思う
私なりの結論です。
今の時代から、お金がない世界を考えると「いや厳しい」となります。しかし、前提を色々変えていくと「え、楽しい」となると思っています。
とどのつまり、今の世界は「お金がある前提」で組まれているので、今の前提からお金がない世界を考えたところで、摩擦が生じるのは当たり前です。
野球選手がバレーボールシューズを使って試合をしたら、プレーがやりにくいことと同じです。そもそも、バレーボールシューズと野球のスパイクの前提は違うからです。
なので、考えるべきは「お金がある前提の世界」ではなく、「お金がない前提で、今の世界の”どの前提”を変えないといけないのか?」というところだろう。
幸せになると思う理由
お金が無くなったら、幸せになると思う理由としては、一言で言えば制限がなくなりストレスが無くなるから。
例えば、世界一周もタダになるし、好きなものを好きなだけ食べることができるし、好きな服を好きなだけ着ることができ、好きな人と好きなことができるからだ。
非常にノンストレスな社会になっていく気がする。
「いやでも、やりたいことがない人はどうすればいいの?」そういう声が聞こえてきそうだ。だが、その声こそ「前提が違う摩擦」なのだ。
この声は、今の日本教育が引き起こしていると思っている。具体的に言えば、好きな科目よりも苦手な科目をさせたほうが合理的なテスト設計や、嫌なことでも従わないといけないことなどがある。
「回れ右!」と言われたら、みんな右を回る中「いや、俺左が好きだから回れ左をしたよ」といって回れ左をする。そうすると、先生は「回れ右を100回やれ!全体責任だ」と罰を与え、「おいみんな、回れ右をしないと怒るぞ!」といった同調圧力をかけていく。
その教育スタイルを受けていると、「やりたいことをやるよりも、周りに合わせたほうが生存戦略的に合理的」という判断になり、主体性をそがれていく。だから、やりたいことがないんだと思う。
そもそも、やりたいことがないようにしているのだから、ある種日本教育は機能しているのだが!!
そのほかにも、「研究者など、何十年も勉強してきた人が損するのでは?」と話があったが、そこも前提が違う。
まず、お金が無くなると情報に金銭的な価値はなくなる。つまり、「価値」はあるけど「インセンティブ」がないという状態だ。今までだったら、新しい発見をすると、お金が入ったり世の中から評価されたり、フォロワーが増えたりする。
だから、もしお金がない世界を考えるのであれば、別のインセンティブを設計する必要がある。それが前澤的に言えば「感謝」なのかなと思う。
つまり、結論は「前提は変わるけど、制限がなくなるから幸せになる」と思う。というのが答えだ。そしてその前提とは、主に社会システム(教育設計、医療制度、インセンティブ設計、労働の再定義)など、虚像の中にある。虚像なので、変えようと思えば変えることができるものでもある。
技術的発展に伴って
ちなみに、最近「シンギュラリティ」や「AIによって仕事が無くなる」とよく言われるようになっている。
その本質は、経済は限界費用が安くなり、仕事が無くなり、人間の可処分時間がとても長くなるということだ。
遠い未来の話に聞こえそうだ。
ただ、実はもう近い世界、その時代はやってくると思う。amazon goのような無人コンビニも走り出し、自動運転も黎明期なんだなと思う。
なので、まだその時代が来ていない時に考えるというのは一つ大切になってくると思う。
もちろん、その時代になってみないと本当のことはわからないし、自分自身も「備える」という価値観より、「その瞬間瞬間に柔軟に対応していく」という価値観なので、どこまで大切なのかと言われればわからない。
しかし、一つだけ言えることは、このような「もしAな世界はどうなんだろう?」と考えることによって、今の自分の価値観を認識できたり、日頃考えない社会の前提を考えたり、未来の視点を少し解像度高く見えたりする。これを得ること自体が大切なのかなと思う。
最後に。
コンテンツとコンテクストを切り分け、未来は過去と現在のコンテクスト上にある。ということを忘れないで生きていきたい。
歴史から学ぶことは、未来や今に生かしていきたい。
こうして今より、明日の方が幸せな世界になると思う。
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