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FBのタイムラインからエチオピア情勢を読み解く

私のFBでつながる友だちの約半分は、世界各地に散らばるエチオピア人じゃないかと思う。
タイムラインに現れる彼らの投稿を見れば、トレンドから社会情勢まで、今、エチオピアで何が起きているのか、彼らが何を感じ、何を想っているのかをリアルタイムに知ることができる。SNSってすごいな。

11月に入り、日本のメディアも報道するようになったエチオピア情勢。
国際社会の反応とエチオピアの人びとの反応には大きな隔たりがあると感じたので、ここに記録しておく。

この1か月の間にエチオピアで起きたことを簡単にまとめると・・・

2年前、彗星のごとく現れ、首相に就任した若きリーダー、アビィさん。就任するや否や政治犯の釈放から20年に渡り断絶していたエリトリアとの国交回復まで、破竹の勢いで改革を進め、国民の圧倒的な支持を集めた。就任翌年には、エリトリアとの国交回復への尽力が高く評価され、ノーベル平和賞を受賞。(2019年)世界がその功績を称えた。
しかし、改革の裏には、その活躍をやっかむヒトもいる。アビィ政権によりこれまでの利権を奪われた前政権の主流派=ティグレ人民解放戦線(TPLF/エチオピア北部ティグレ州に拠点を構える政党)の一部の党員たちだ。エチオピアにおいては少数派の民族ながら、他党に呼びかけ1991年、メンギスツ率いる軍事独裁政権を崩壊させた立役者でもある。しかし、民主政権誕生後も政治の主導権を握り、利権を貪り、反政府分子を厳しく取り締まり続けた結果、国民の不満が爆発、2018年2月、時の首相は自ら職を辞し、アビィ・アハメッド首相率いる新政権が誕生したというわけ。

このような背景のもと、2020年11月4日、燻り続けていた反政府分子であるTPLFが遂に反旗を翻した。政府軍の基地を攻撃したのだ。これにより、多数の市民が巻き込まれ、死者が出、内戦を逃れるため、難民となった市民がスーダンへと流出した。アビィ首相は平和的解決の道を探り、降伏を求めたがTPLFは応じず、遂に通告期限の切れた11月26日、エチオピア軍は武力行使を慣行、制圧にいたった。

わずか1か月という短い期間に勃発し終息した深刻な事態をFBのタイムラインで振り返ってみる。
TPLFによる基地攻撃の一報が出るや否や、事態を嘆き悲しむ投稿や「ティグライ地方の人びとに神のご加護を」といった投稿が次々にタイムラインに溢れた。続いて「私は、エチオピア軍を支持します」というメッセージ。胸に手を当てたり、敬礼したり、エチオピアの国旗を表すラスタカラーの服やスカーフを纏ったり・・・そんな写真がタイムラインを埋め尽くした。
そして、制圧の一報が告げられると、アビィ首相や軍人たちの写真が盛んにポストされ、彼らへの愛やリスペクトを表する投稿が続いた。
国民は、終始一貫、アビィ首相とその政策を支持し続け、TPLFの暴挙を責めていることが画面越しに伝わってくる。

さて、これに対して国際社会の反応はどうだったか?
多くの報道は「ノーベル平和賞受賞の」という枕詞をつけ「内戦」「難民」「市民の巻き込まれ」「多数の死者」「武力行使」とアビィ首相を責めたてた。国内とは真逆の反応だ。
わざわざ「ノーベル平和賞」という冠を付けて報道するのはなぜ?
中には、コロナ禍ですっかり露出度のあがったWHOのテドロス事務局長は、TPLFの党員であり、前政府で要職についていたと、半ば犯人扱いするような報道をするメディアまで。ともすれば、ゴシップをふりまく週刊誌やスポーツ新聞の見出しと変わらない過熱報道のように感じる。
平和的な解決が望まれるのは当然のこと。しかし、対話による解決を求めて内戦状態が長引けば、巻き込まれる市民の数は増え、難民の数も増えることは明らかだ。
報道をする側が当事者だったら事態を対話で解決する解を示せたのだろうか?

ちなみに親しいエチオピアの友人から聞いた話しでは、反政府の動きは、誰もが知るところで、火種は早く叩くべきというのが多くの国民の想いであり、対して我慢に我慢を重ねていたのがアビィ首相なのだと。
日本にいる多くの留学生の故郷であり、私自身も行ったことのある州都メケレの街が内戦に巻き込まれてしまうなんて信じがたい。家族の安否もわからぬまま不安な日々を過ごした友人たちを想うと苦しくなる。
短い期間で解決できたのは、不幸中の幸いであり、アビィ首相の采配の優れたところだと思います。

エチオピア親派の皆さんなら、同じ違和感を感じた方も多いはず。
実際、指摘されている方もありました。
この違和感を忘れないよう、ここに書き留め、共有します。

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