GReeeeNの「星影のエール」MVをいまさら真面目に考察してみた

GReeeeNが歌う朝ドラ『エール』の主題歌『星影のエール』のミュージックビデオが公開されたタイミングで発表された「星影のエールMVをみんなで考察してみよう!キャンペーン」。

楽曲の歌詞やMVを「これってどんな意味を込めて作ったんだろう?」と考察してみたことはそのアーティストの熱心なファンなら一度くらい経験があるかもしれない。

でもそれをみんなでやってみようと呼びかけるのはあまり見たことがなく新しいな面白いなとそういう考察が大好きな僕も参加しようと思ったのだが、

ぶっちゃけTwitterで考察をまとめるのはしんどい。。。

考察を真面目にしようと思うとどうやっても長くなるし、文字制限があるからツイートを区切っていくのもめんどくさい。。そう思って早々に、「ならもうルール無視してnoteにまとめっか!」と書き始めたものの、当時は忙しくて考察を途中で投げ出してしまった。

で、正直今さら感はあるのだけど、GReeeeNの紅白出場が決まった今、あらためて「星影のエール」の考察をまとめてみようと思う。

これを読んでいる人で「まだ星影のエールのMVを観たことが無い」という人はとりあえず一度動画を観てきてほしい。とても良いMVなので。



考察1:少女とロボットの関係性

MVを最後まで観ると、そのしぐさからずっと少女の世話をしていたロボットがかつて少女と一緒に流星群を見上げていた少年と同一人物であろうことがわかる。

何らかの理由で少年は肉体を失い、記憶をロボットに移し替えた、それは少年本人の意思によるものかもしれないが、星影のエールという曲が「お互いからのエール」をテーマにしていることを考えると、僕としては少年は少女の手によってロボットとして蘇った、という説を推したい。

ではロボットが育てる少女のほうはどうだろうか?

最後老婆が赤ん坊に転生することから、少女は何度も転生を繰り返しているのではないかと思って同一人物だと思う人もいるかもしれないが、そんな奇跡が何度も起こっていたら最後のスイッチを押すシーンのカタルシスが弱くなってしまう気がする。

それならば、シンプルに赤ん坊と少女は親子と考えていいと思う。最初のシーンで生まれたての赤ん坊と一緒に土星付近を就航していることを踏まえると(つまりは地球から旅立ってそこそこの時間が経過している)、

・かつて流星群を見上げていた少年と少女は大人になって共に宇宙に旅立つ

・宇宙船内で少女が妊娠し、何らかの原因で少年は肉体を捨てる事になる

・少女は赤ん坊を産み落として死んでしまう

・残されたロボットが赤ん坊を育てる(←MVの最初)

こうした時系列でストーリーを補完できる。一緒に旅立った少年と少女は地球を出てから10年にも満たない程度で肉体的に死んでいると考えるとなかなか過酷な環境だし、もしかしたら最初の乗組員はもっといたのかもしれない。だがそうだとしてもおそらく赤ん坊の父親はロボットになる前の少年だと思う。

いくら大事な人であっても自然の摂理に逆らっていいのかという疑問も、親子であれば解決できる。なぜなら子が親より先に死ぬなんて、あってはならないことだからだ。だからこれは、親が子へ贈る愛の物語であると僕は思う。

考察2:ふたりはどこを目指していたのか

ふたりは地球を捨ててどこか人が住める星へ向かったんじゃないの?と最後のシーンは地球じゃない説も考えられるが、僕はそれに対しては強く異議を唱えたい。

なぜなら見知らぬ星で少女一人で生きていけというのはあまりにもエゴだし、たどり着けたところで赤ん坊ひとりが生きていけるはずもなく、それだと結局何の救いもない話になってしまうからだ。(ロボットが復活できたのはあくまで結果オーライでしかない)

親が子に贈る愛が、そんな投げやりなものであっていいはずがない。

なので最後に戻ってきたのは間違いなく地球ということでいいだろう。ふたりは何らかの目的を達成し、地球へ戻ってきた。ロボットが自らを犠牲にして彼女を蘇らせたということは、その時点で後のことは誰かに任せても安心できる状況だったということだ。

SFバトルものなら何か地球を脅かす強大な敵を倒して戻ってきた、という設定も考えられるが、さすがにそれはないだろう。むしろ地球を脅かす敵を倒すために何らかのアイテムを取りに向かい、それを持ち帰ったと考えるのが自然ではないだろうか。

そのアイテムとして考えられるのはMVの最後に起きる奇跡、星形の石が放った光に関するものであると僕は思う。

考察3:不思議な力を持つ星形の石の正体

MVを紐解くうえで一番大きなカギを握っているのがこの星形の石だろう。

ロボットの動力源でもあるこの石は、最初はまったく光っておらず、少女の成長と共に淡く光り、ケンカをすれば光は弱くなり、自らの命をかけて少女を助けたいと思った時、まばゆい光を放って奇跡を起こす。

つまりはお互いの信頼関係、思いの強さに大きく関係しているわけだ。

「なら別に宇宙に出ていかなくてもよかったんじゃない?」とミもフタもないことを言う人もいるかもしれないが、たぶん星形の石についての細かいことは最初ふたりも知らなかったんじゃないかと思う。僕が考えるこの星形の石についての考察はこうだ。

かつて地球に降り注いだ流星群から発見された謎アイテム「星形の石」。

それは輝きを放つことで不思議なエネルギーを生み出すが、その原理については解明できずにいた。

だが研究の結果、この石がはるか遠くに存在する天体からきた物質であり、この石から放たれる大量のエネルギーがあれば危機に瀕した地球を救うことができるということがわかる。

はるか遠くの星に存在するその石を取ってくるため二人の男女が選ばれ、宇宙へと旅立つ。

時にはぶつかり、時には支え合い、様々な困難に耐えながら宇宙空間を何十年も旅していくうちにふたりはこの星形の石が生み出すエネルギーについて理解する。この石の力の源は人が人へ送る「思いの強さ」であると。

地球を救うため人生を捧げて旅してきた自分たちなら、奇跡を起こすために必要なエネルギーは十分蓄えたと考え帰ってきたふたり。そんな彼らだが、「せめて娘だけでも、もう一度人生を自分のために生きてほしい」とロボットが願い、自らの命を犠牲にする。

「誰かのために命をかける」という最大級の自己犠牲がトリガーとなり、星形の石はかつてないほどのまばゆい光を解き放ち、膨れ上がった莫大なエネルギーは緑色の流星群となって地球に降り注ぐことで、はびこる脅威は打ち払われ、見事地球は救われたのでした。はっぴーえんど。

星形の石の考察のはずがストーリー全体を通しての考察になってしまった。。無数の流星群が発生していることを考えるともしかしたら目的地に到達し星形の石を集めてきた可能性もあるが(だとしたらロボットの石を使う必要がない気もするが)、わりと矛盾点なく考察できているのではないかと思うがどうだろうか?

この考察をもとにすると、かつて少年と少女が見た流星群も誰かが地球を救った時の光ということになるが、それについては一旦ここでは割愛する。

さて、すでにだいぶ長い記事になってしまったが、最後に「じゃあこの曲でGReeeeNはどういうことを伝えたかったの?」という部分について考察していきたいと思う。

考察4:「星影のエール」という曲に込められたメッセージ

ここまでの話でなんとなくの作品の雰囲気はつかめたのではないかと思うが、僕は作品の根幹にあるテーマには「繰り返される物語」があるのではないかと思う。

このMVの中で繰り返される物語は、以下の3つだ。

・少女と少年の物語

・降り注ぐ流星群

・少女の人生

まず「少年と少女の物語」について、ふたりが宇宙へ飛び立つきっかけとなった地球への脅威。

これは現在進行形で人々を襲っている新型コロナウイルスの比喩だろう。

ちなみに僕は少年と少女が命を落とした原因もコロナだと思っている。健康な人間を集めてきたはずの船内で、実は病気を潜伏させてしまっていた誰かが発症して感染が広がり、最後に残された少年は肉体を捨てロボットとなり、少女は赤ん坊を産み落として死んでしまった。

産み落とされた赤ん坊はほかに生きている人間が誰もいなくなってしまったので感染せずに済んだ、というとかなり皮肉めいた話に聞こえるかもしれない。

話を戻すが、感染症に立ち向かうため宇宙へ旅立った少女と少年をまるごとGReeeeNだと考えることもできるが、僕はこれはロボット=GReeeeN、少女=ファンなのではないかと思う。

少女(ファン)によってロボット(GReeeeNというアーティスト)は生み出され、楽曲を与えることで成長し(たまにヒドイことを言われたりもするw)、最後にはGReeeeN自身もファンによって救われる。

そうしたお互いがお互いを支え合う関係性は、まさにファンとアーティストにも言えることだろう。

次に先ほど少年と少女がかつて見た「降り注ぐ流星群」

これはかつて同じような危機が地球に訪れていて、誰かがそれを救ったことの証だと上で述べた。ではいったい誰が地球を救ったのか?

これについては正直ヒントはあまりないが、僕はこれは地球以外からきた異星人だと考えている。

なぜなら大人になった少年と少女が一生をかけて(というか人生2回分)ようやく石を取ってきたのに、それよりも昔に生きていた人間が同じことを実行するのは不可能だろう。

つまりは人類以外の何者かが人知れず地球を救ったということであり、これもまたひとつの「星影のエール」ということなのかもしれない。

最後に、繰り返される「少女の人生」について、物語は少女が赤ん坊に戻ってぎゅっとロボットの手を握るシーンで終わる。

これはシンプルに「未来へつなぐバトン」と考えたらいいのではないかと思う。

赤ん坊というのは未来の象徴だ。だからあのシーンは「手をつなぐ」シーンとして見せながらも「未来を託す」意味合いも含めたものとなっているのではないだろうか。

さて、僕が先ほど述べた「繰り返される物語」というところに視点をおくと、少年と少女の物語から読み取れる「お互いからのエール」は現在軸での輪、「降り注ぐ流星群」は過去と現在をつなぐ輪、「生まれ変わった少女」は現在と未来をつなぐ輪と、それぞれの物語も輪のようにつながっていることに気がつく。

つまり全ての物語をつなぎ合わせると、

「過去の人たちはみんなでお互い支え合って困難を乗り越えてきたし、僕たちもそうやって乗り越えていく。そして僕たちの次、その先の世代もずっと、誰かが思いを受け継いで、どんな壁が立ちはだかったとしても、きっと協力し合って乗り越えていくだろう」

こうした人間賛歌こそがGReeeeNが星影のエールを通して伝えたかったメッセージなんじゃないかと僕は思う。

まあ最後に一言だけ付け加えるなら、

「考察は綺麗になんかまとめらんないから思ったまま書かせてくれや!」

ということだ。

「ここの言葉に込められた意味ってどんなことなんだろう?」

「なんでこのシーンにこの映像を入れたんだろう?」

そうした細かい疑問を膨らましていくのが考察だ。

なのでそれを体系的にまとめ上げて着地点を作るというのはとても難しい。それでごちゃごちゃ何を言いたいのかわからない話になったりするからみんな敬遠しがちだが、むしろ着地点なんて他の人に投げちゃってもいいのだ。

みんなであれやこれやと意見を交わし合って、他の人の意見と自分の意見を混ぜ合わせて「じゃあ自分はこういったストーリーだと思うことにする!」とそれぞれが納得する物語をつむぎあげるのが考察の醍醐味なのだから。

だから僕のこの長ったらしい考察を参考にする必要なんて1ミリもないし、「むしろここの考察はここが破綻しているから自分はこう思う!」みたいな意見があったほうが僕も楽しい。(なんかよくわかんないけど気に食わねー!みたいな意見だとショックだけど)

だからこうした機会にもっとたくさんの人がいろんなことを自分でも考察するようになって、色々な面白い意見が見られるようになれば楽しいなと思う。

という、考察って楽しいよ!という宣伝でした。


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