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カンパリ

今回はカンパリについて書いていきたい
カンパリといえば薬草、香草系の中でも最も有名なリキュールの一つではないだろうか。

イタリアではカンパリのような薬草、香草などの草根木皮や柑橘類の皮などを配合して造られるお酒を"Amaro"(アマーロ、イタリア語で苦味を意味する)と呼び食前酒や食後酒として、またカクテルの材料としても広く親しまれている。

さてそんなカンパリだが、ビターな味わいもさることながらあの美しい赤も特徴の一つではないだろうか。
今では着色料によって色付けさせているものの少し前まではコチニールカイガラムシ(別名エンジムシ)と言う虫によって染色されていたと言うのは有名な話かもしれない。
また、カンパリには赤だけでなく無色透明のカンパリも存在していたことも忘れてはならない

それはコーディアルカンパリと言い、フランボワーズを主原料としたリキュールである。一般的なカンパリとは違い、苦味もなくフランボワーズの香りと甘味を持ったリキュールに仕上がっている。
また名前のコーディアルは甘味と香料を加えたアルコール性飲料と言うリキュールを指す意味と元気付けると言う意味を併せ持っており、通常の赤いカンパリと共に人気があったお酒であったが1992年に生産終了し、終売品となり貴重なお酒になってしまった。
(コーディアルカンパリは赤いカンパリに対し、白いカンパリとも呼ばれていた)



さて今でこそ広く愛されているカンパリだがその歴史はミラノ市の酒場から始まる

カンパリの創始者はガスパーレ・カンパリという人物である。このガスパーレは14歳で酒場の見習いになり、お酒の知識を身につける。その後ノヴァラでカフェを経営するようになる。

ちなみに話は脱線するが、創始者であるガスパーレの故郷もここノヴァラである。ノヴァラはトリノ市とミラノ市の中間にあり、周辺は平坦な農村地帯である。そのためイタリア語で"野原の"を意味するカンパーレからカンパリというファミリーネームが生まれたという。日本で言うところの平野さんや野原さんに当たるのかもしれない。

話は戻りノヴァラでカフェを経営し、1860年にミラノ市に進出。聖堂前の広場の一角に酒販店兼酒場を開く。ここでガスパーレは以前から試みてきた新しいリキュールを完成させた。それを Bitter All'uso d'Hollandia/ビッテル・アルーソ・ドランディア(オランダ風苦味酒)と名づけ、常連客に提供するようになった。これが後のカンパリである。

ガスパーレの商売は繁盛し、1867年には近くのアーケード街で"カフェ・カンパリ"を経営するようになる。ここで、ガスパーレのリキュールは人気商品となり、イタリア国王ウンベルト1世やイギリス国王エドワード7世も訪れる名店となった。

1882年創始者であるガスパーレが死去。後を継いだダヴィデ・カンパリは、Bitter All'uso d'Hollandiaという長い名前を家名であるカンパリに改名。そしてイタリア国内での販売を開始。それが成功するとフランス、スイスやアメリカ大陸など事業の拡大を計った。
1932年にはイタリア国内向けにアールデコ調の瓶でカンパリ・ソーダを販売。そのデザインも相まってカンパリの人気は不動のものとなった。
そして現在では170ヵ国を超える国々で愛飲されるほどの人気を誇る。

カンパリの原料配合比率は門外不出の秘密であるが、ビター・オレンジ果皮、キャラウェイ、コリアンダー、ナツメグなど30種を超えるハーブ、スパイスで構成されており、これがカンパリの苦味や風味に繋がってくる。

またカンパリのオールドボトルの見分け方として、1970〜1980年台前半はラベル表記がAperitivo/アペリティーヴォとなっており、

それ以降〜2000年台前半辺りまではBitter、

現行品はMilanoとなっている。

最後にカンパリは現行品も大変美味しいが、エンジムシで染色していた時代のカンパリも苦味の深さが違い、また違った味わいや面白さがあるように思う。

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