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【レポ】震災遺構 仙台市立荒浜小学校

「ありがとう荒浜小学校」

手作りの横断幕の元気な文字とは対照的に、傷や錆でボロボロの校舎が痛々しかった。

仙台市立荒浜小学校は仙台市若林区荒浜に位置する。2011年の東日本大震災による津波で壊滅的な被害を受けた地域だ。かつては役800世帯、約2200人が暮らす集落があったが、現在の荒浜にその影はない。

震災当時、荒浜小学校には91人の児童が通っていた。2011年3月11日の津波発生時には児童や教員、住民を含め約320人が避難した。
現在の荒浜小学校は地震や津波の被害を伝承する「震災遺構」として一般公開されており、誰でも無料で見学することができる。

かつてグラウンドだった駐車場に車を止めて校舎を見上げると、二階の教室のベランダ部分の鉄柵がグニャリとひしゃげていた。高く押し寄せた波や瓦礫が捻じ曲げてしまったのだろうか。

校舎一階西側の入口から中に入った。一階には最も大きな被害を受けた保健室と1年1組の教室がある。当然瓦礫などは片付けられていたが、波によって押し上げられた天井はいたるところが剥がれていた。

二階に上がると目についたのは、廊下にぽつりと置かれた一つの棚だ。おそらく鉄でできているであろうその棚は、下から40センチほどの部分だけが酷く錆びていた。二階部分にまで水が迫っていたことを物語っている。

4階では数々の展示が行われていた。おそらく児童によって作られた、かつての荒浜の姿を表すパノラマが展示されていた。多くの人々が暮らす荒浜の集落が再現されており、100を超えるであろうひとつひとつの家の模型すべてに、そこに暮らしていた人たちの名前を記した札が施されていた。それらの家屋は全て津波によって消え去った。津波によって奪われたのは、家であり、暮らしであり、街であり、人である。

最後に屋上に向かった。テニスコート3つ分もない屋上だった。10年前の3月11日、ここに多くの市民が避難していたことを想った。避難者の数に比べてあまりにも狭いこの屋上で、自分たちの街が流されていく様子をどんな思いで睨んでいたのだろう。

屋上からは今の荒浜が一望できた。今の荒浜には人が住んでいないようだった。かつての住宅街は、記念公園や単なる平地と化していた。この先、荒浜の人々ががこの地に戻ってくることはないのだろうか。


詳しくはこちら↓

仙台市HP 荒浜小学校についてのページ

https://www.city.sendai.jp/kankyo/shisetsu/ruin_arahama_elementaryschool.html

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