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ほとんどビョーキ

寒すぎひん?

体調崩しそうで頭丘people!?
だいぶ疲れた

そういや最近カシスのリキュールをウーロンで割って飲むのにハマっている カシスオレンジだと甘すぎるしカシスソーダだと甘みが足りない そんな中で大学生の時に運命的な出会いをして今もなおカシスウーロン原理主義

そもそも酒は飲む方ではなかった 半年に3.4回くらい缶チューハイを自宅で飲む程度 それもほろよいを1、2本
それに比べたら今は週2、3で飲んでいるので回数は増えたが、意外にも精神衛生に一役買っているのである
飲むのはティーカップサイズ1杯か2杯 寝る2時間〜3時間前 甘みを感じる程度の濃さ
飲むと顔が真っ赤になって、ベッドに入ってスマホかゲームしかできなくなる これがいいのだ

ぬるという人間は退勤後も仕事のことや家事のこと、未来のこと過去のこと家族のこと、色んなことが頭を騒がしくぐるぐる回る かつせっかちなので帰宅後も今やらなくてもいいことにやたら手を出して疲れてしまう
だが、お酒を飲むと戦闘態勢から一気に補充モードに入るのである
「さあ休むぞ」という気になるし、飲酒前にやることを片付けるので生活にメリハリがついた

というわけで割と夜の一杯が習慣になりつつあるわけだが、ふと「依存」について考える
僕がアル中かどうかは現段階ではNOだと思う
そういう話ではなく、

「どうなってしまったら人は『アル中認定』されるのだろう」

という割と深いテーマである

例えば、過去の上司は割と家で毎日飲んでいる人が多かった 「ルーティーンだから飲まないと体調を崩す」と
明らかにアルナカのような気がするのだが、無論診断は出ておらず、仕事も普通にこなしていた

もっと話を大きくして、「依存」について取り扱えば、
「なぜ毎日糖尿病の薬を体内に入れている人は○で、毎日LSDを体内に入れている人は×なのか」
という話にもなってくる 法律で禁じられているから論はあえて抜きにすると「毎日薬物を体内に入れている」という点では同じである

ありとあらゆる依存症に浸かった中島らもさんは
「『仕事の昼休み、ランチのついでに一杯』は最初の赤信号」
と、1996年7月放送分の「徹子の部屋」で語っていた
僕もそうだと思う

何が言いたいかというと、「コントロールできているかいないか」がヤバいかヤバくないかの基準になるということだ

少なくとも糖尿病の薬は、飲むことで体調をコントロールするものである
だがLSDは真逆で、自身の一切の感覚をコントロールできないよう脳に作用するものだ 無論摂取量をコントロールする能力も欠落する

①「コントロールするために体内に入れる」
かつ
②「体内に入れる量を正しく医師や機関の指標に基づいてコントロールできる」

それを人は「依存」とは呼ばないし、どちらかに当てはまらないものは依存に近くなり、どちらにも当てはまらない場合は「依存」だろう

だとしたら「酒」はどうなのか 
酒は「コントロールを鈍らせるもの」であるため、①には当てはまらない
だが、②をできている人は、少なくとも今の日本の一般的な基準では「依存」と見なされない

僕は医学については全く知らないし、「糖尿病が怖いなら塩ばんばん入れて中和しろ!(?)」とか言っていた人間なのでこのあたりが限界だ

まあお医者さんに聞くのが間違いないネ!


…と話はここまで
でも「『ビョーキ』と『フツー』の狭間」
って結構あいまいで、
「俺もいつ依存症になるか分からない」という感覚はとても大切なように思う
なりたくて病気になる人などいないのだから。

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