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あらいのお便り相談その2

こんにちは。あらいです。
今回は2回目のお便り相談です。

Bさん

「読んで面白かった本や影響を受けた本を教えて下さい」

Bさん


返答

こんばんは。あらいです。

読んで面白かった「本」ですか…

私は元々活字が苦手で、最近はテキスト以外、本を読みません。付き合っていられないのです。
逆に新聞は最近なぜかよく読むようになりました。地域の事件•事故欄を特によく読みます。
「私もちゃんとしなきゃダメだな」
と背筋が伸びる感覚が好きです。スケールの大きい話より、身近な話の方が読んでいて楽しいです。自分と重ねることができるから。

最近は本はおろか、コンサートも映画もお笑いもスポーツ中継も見てられなくなってしまいました。
漫画と音楽だけはまだ付き合っていられます。短いからです。

そもそも、
「文章は長ければいいというものではない」
と思っています。

文学賞に応募するような人なら長文が書けなければなりませんが、素人が無理に長文を書こうとすると話が薄くなったり蛇足になってしまいがちなのです。

それはなぜか。

多分、気持ちが乗ってないのに無理して書ききろうとしているからだと思います。そもそも、書くこと自体に気持ちが乗らない人である、ということもあるでしょう。作者が楽しんで書いたものは読者も読んでいて楽しいですし、作者が熱を込めて書いたら読者にもその熱量が必ず伝わります。

その点で言うと、さくらももこさんなんかは読んでいて「この人、嫌々書いてねえな」という感じがします。
無理矢理笑わそうとか面白く書こうとか思っているわけではなく、素のままで
「面白いことが好きな面白い人が面白いと思うことをやっている」
というだけのことで、そこが好きです。

光浦靖子さんの「すっぱだかで反省文。」というエッセイが昔ありましたが、あれも楽しく最後まで読めました。リリー•フランキーさんの「マムシのanan」も面白かったです。

面白くて、等身大の姿を描いたものが好きでしたね。
ただ、「なぜ面白いか」「どこがどう面白いか」と言われると、全く言葉となってでてきません。

食べ物でもそうですが、
「そう感じられたことが尊い」
のであって、私の場合は美味しさも面白さも第一感を大事にします。読んでいくうちに、とかはありません。最初読んで掴まれないものは、大抵読み続けても印象は変わりません。

もし私が文章の審査員をしたら、最初の数ページを読んだあと、バラバラっと最後まで目だけ通して、最初と中盤で印象が変わらないかを確かめます。最初の数ページがよかったものにはチェックをつけます。
その後数日置いておきます。そして、チェックをつけたものを最初の数文だけ読んで、すぐに思い出せたものだけを拾います。数が多ければ、更にそこからレギュレーションに則って絞るでしょう。

印象に残るか否か。それが表現における一番大事なところだと思います。
「好き」の反対は「覚えてない」です。
良くも悪くも覚えていたら、きっとそれはその作品が「好き」ということなのです。

ということで、すみません。なんか全然「好きな本への熱い思いを語る回」にはなりませんでした。

結論

本は最近あまり読んでいません。






今回はここら辺で。なんか盛り上がらなくてすみません。

それでは、また次回!


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