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大石泉ちゃんを待つもの

 スマートフォンの画面には、泉のSNSのアカウント情報が映っている。泉はプロデューサーにそれを見せた。
「フォロワー数、50万に到達したよ」
「すばらしいことです。おめでとうございます」
 プロデューサーは画面を見て言った。SNS上で泉をフォローしてくれているユーザーの数が50万人に達したのだった。プロデューサーの言葉はシンプルだったが泉のことを肯定する気持ちがきっちりこもっていた。
「うん、いいことだよね」
 泉は言った。ここまでフォロワーが増えるようたくさんメッセージを投稿し、返信を書き、画像をアップしてきた。フォロワー数が増えるのは良いことだと思って。
 しかし50万人分の関心が自分に向いているというのは不思議だった。泉は言ってみる。
「だけどこの50万の人たちは私と友達どうしっていう繋がりがある人たちでもないし、家族や学校の先生とも関係の違う人たちよね。なんか特別な感じがする人たちだ。そういう人が50万人も集まっちゃった」
 プロデューサーは動じるな、という調子で返答した。
「それは大石さんが成功しているアイドルだから人が集まってくるのでしょう。フォロワー、つまりアイドルのファンという人々は大石さんの友人でも親戚でもない。じゃあなにかというと、それ以外の集まり、大石さんのことを推している人たちと定義するしかない。そしてアイドルを推したいと望むファンは世の中にたくさんいて、アイドルはそうした人々に支えてもらって歌っていくのです」
「私は50万人に推されて仕事をするということね」
「はい。大石さんのリリースするCDの売り上げも上がっていますし、大石さんの評価はどんどん高まっています。私も担当アイドルが賞賛されるのはとてもうれしいですよ」
 ファンが増えれば支えてくれる人が多くなる。商業的な成績も上がる。プロデューサーも喜んでくれる。恩恵はいっぱいだ。
「この調子でフォロワー100万人とかいきたいね」
 そう泉が言うと、プロデューサーは深く頷いた。
「大石さんならいけるでしょう」

 その会話をした二日後、とある人気ロックバンドのヴォーカルが自身のSNSでこんなメッセージを投稿した。

――俺の歌を聴いているのは頭が空っぽな女たちばかり。本当はもっと頭のいい人に聴いてもらいたい。でもそうもいかん。辛いね――

 このメッセージを巡り、ネット上は大騒ぎになった。「この男は自分の歌を聴いてくれている女性たちを馬鹿にしている!」「周りにいる女性を貶すのは最低!」「ファンの気持ちを考えたことがあるのか!」「お前に金を払っているのはファンだろ! もっと配慮しろよ!」「もうこのバンドのファン辞める!」とか「あのバンドのファンなんて元から頭の悪い女ばっかりだろ。これは現実を見ているよ」「こいつ自身も悩んでいるんだろ。叩きまくるのはよくないんじゃね」「自分の歌が受けとってほしい人に伝わらないって辛いことだよ」とか様々な意見が飛び交い、件のヴォーカリストは発端となったメッセージを削除し謝罪のメッセージを新たに投稿した。それでも炎上騒ぎはなかなか治まらず、ファンをおちょくる者たち、ヴォーカリストに失望の意を示すファンたち、この炎上を耐え抜いたファンこそが真のファンであると説く者たちが暴れ回り、騒がしい日々は一週間ほど続いた。

 そんな事件があったあと、次の曲をリリースすることになったので、泉はプロデューサーと打ち合わせをしていた。「これが歌詞です」と言ってプロデューサーは紙を泉に渡した。泉はそれを読んだ。
「『人間とキャンバスはパレットと初恋のようなもの』『目隠しされた狐と停滞はシーソーとして次元を渡る』? うーん、よくわからない歌詞ね」
 一読して、泉は感じたままに言った。
「私はドイツの戯曲っぽいと思いました」とプロデューサー。
 奇妙な言葉が散らばった形の歌詞だった。全体を流れるストーリーがあるように思えるが、描かれている情景は複雑で理解しづらい。曲のタイトルは『初恋のキャンバス』。
「まあ、歌ってみるよ」と言って泉は歌詞から目を上げる。「でも、こんな変わった歌をファンは評価してくれるかな。あのロックバンドのヴォーカリストがちょっと気になっているんだけど」
「ネット上で騒動となったあの方ですか」
「うん。ファンの気分を悪くさせちゃったら、争いが起こるんだね。ちょっと怖い」
「あの方のSNSのフォロワー数は150万以上ありました。彼本人の発言も問題ですが、周囲にたくさんの人がいたぶん影響は大きく、騒動は過度に広がってしまったのでしょう」
 泉は自分のアカウントがフォロワー数50万に到達したことを思い出す。それは50万人のファンの気分を良いものにしたからできたことだ。だが媚びを売ればそれでファンの気分が良くなるというわけではない。ファンの快感はあくまでもアイドル大石泉の活躍によって生まれる。活躍を見せるには仕事をこなし成長していって、良い結果を出さねばならない。愚痴や弱音を吐かず、真面目にがんばるしかないのだ。
 ファンを想うなら、がんばってアイドル活動をしていくことが必要、活動中にヤバイことをやらかさないことも重要。それで、いま読んでいるこの変な歌詞を歌ったら、ファンはどう感じるか?

 そして『初恋のキャンバス』がリリースされ、プロデューサーが「歌の評価がでてきたので一緒に見ましょう」と泉に言った。プロダクション内の一室でふたりはパソコンを覗き込む。たくさんのタブが画面に並んでいた。それぞれのタブをクリックするとそこに歌のレビューが書かれている。
「いい評価は少な目ね」
 ざっと画面を見て泉は言った。まあ、こんなものかといった声色だった。歌詞の意味がよくわからないという意見が多く、もっとノリのいい、わかりやすくかっこいいサウンドを求めている意見もまた多かった。
 少し遅れてプロデューサーが言う。
「いえ、楽しんでくれた方もちゃんといます」
「どれどれ」
 整列したレビューのひとつひとつを泉はじっくり見る。ほかのアイドルソングでは味わえない独特な魅力があるとか、泉の新しい一面を見れてよかったという評価もあった。じっくり見てみるとファンの意見はいろいろあった。
「大石さん、こんな声もあります」
 プロデューサーが言って、画面を指さす。泉は書かれているコメントを音読した。
「……この曲はライブで泉ちゃんが歌っているところを見ないと正しく評価できないんじゃないかな。生の声とダンスが付けばいい曲に聞こえると思う……」
 そのコメントに同意しているユーザーは多数いた。ライブで歌ってみれば曲の評価もまた変わるかもしれない。
「近々、大石さんのライブをやろうという企画が動き始めています。『初恋のキャンバス』をそこで歌うのはどうでしょう?」
 プロデューサーはそう言った。泉は考える。これはファンを良い気分にさせるチャンスだろう。その好機を逃したくはない。自分の力を発揮すべきだと泉は思い、言った。
「わかった。ライブで歌ってみましょう」
「オーケーです」
 かすかに笑ってプロデューサーは頷いた。

 後日、『初恋のキャンバス』の振り付けが記された書類を泉は受け取った。それを見て泉はすさまじくどうするのこれという気分になった。
「1分間空気椅子をしたりパントマイムをいっぱいしたりラストは片足で立って歌うとかカオスすぎるよこの振り付け」
 泉が困った表情をしているのを見てプロデューサーは言った。「複雑な歌ですから、歌に合わせてダンスもちょっと変わったものになっています。曲の評価を決めるにはインパクトがあったほうがいいでしょう」
「これを実際にステージ上でやれば、そりゃインパクトがあるでしょうね」
 ダンスの振り付けが固まったからにはもう後戻りはできず、このダンスをやりきるしかない。本番に向けてしっかり練習せねばならない。完璧にやらねばファンは満足しないし、泉も満足できない。
 そんなわけで泉はひたすらレッスンスタジオでダンスの練習を繰り返した。身体を動かしている間、ライブでファンのみんなが喜んでくれるかが気になった。喜んでくれるといいけどな、と思って練習を重ねていると徐々にダンスの出来栄えはよくなっていく。相変わらず奇妙な振り付けではあったがなかなかおもしろいものだとも泉は思った。
 そのうちダンスが一通り形になってくると同時に疲れも溜まってきたので泉は休憩することにした。スタジオに座りこんで息を整える。
 こうして自分がアイドル活動に励んでいるのは、ファンに好かれたいからだよなと深呼吸しながら泉は思った。泉ががんばればファンは泉を好意的に見る。ファンが盛り上がれば泉はファンを愛おしく思う。そういうモデルになっている。
 泉はさらに考えた。ファンが泉を見ていて、泉もファンを見ている。そこに泉というアイドルがいなければ泉を見るファンもいない。泉自身もファンがいるからアイドル活動に励むことができる。ファンとアイドルが揃うことで初めてアイドルはアイドルになれる。
 大石泉というひとりの女の子ではなく、アイドルである大石泉という存在を作り、見せあって、走らせるにはファンがいるからできることだ。アイドルはファンと不可分で、力を合わせて生成される一個の存在だ。泉はそう思う。
 高評価を得てアイドルを続けるには、活躍してファンにメッセージを発し続けるしかないだろう。アイドルとファンの間を行き交うメッセージは言葉であったり、振る舞いであったり、歌とダンスであったりするけれども、それを全力でファンに伝えるぐらいしか泉にできそうなことはなかった。泉が最高のパフォーマンスをファンに見せること、それを受け取ったファンが泉を応援してくれること、それがポジティブに生きるアイドルを生み出す。
 泉は立ち上がり、練習を再開した。

 ライブ本番の日が訪れ、たくさんのお客さんの前で泉は歌い、舞った。歓声を浴びながらライブは楽しく進行して、『初恋のキャンバス』を歌うときが来た。
「次の曲は最近リリースした『初恋のキャンバス』です」
 と泉がステージ上で言うと、それまで盛り上がっていた観客席がほんの
少し静かになった。楽しむよりも警戒しているような感じがする。ここにあのダンスを放てばどうなるかと泉は心配に思ったが、恐れずできる限りのことをやろうと決意し、動き始める。
 奇っ怪なパントマイムや空気椅子を披露していくと、観客から笑い声やいいぞ! もっとやってくれよ! というような声が聞こえ始めた。わけのわからない曲が伝わっていく感じ、メッセージが流れている感じがする。どうか、このメッセージがあなたのためになりますように、と思いながら泉は歌い、踊り、ファンと意識を通わせた。

「大石さん、テレビ番組に出てほしいというオファーが来ています。『初恋のキャンバス』を是非、番組の中で披露してほしいと」
 ライブの数日後、プロデューサーは泉にそう言った。
「あの曲をテレビで? 全国のお茶の間に一風変わった歌とダンスをお届けすると?」
「奇妙な味が出ていて良い曲だと『初恋のキャンバス』の評判が上がってきているんです。ネットや雑誌を見るとライブをきっかけに高評価が増えていまして」
 ちゃんと伝わったんだなと泉は思った。でも、これでアイドル活動の区切りがついたわけじゃない。これからもメッセージを伝えて、反響を感じたい。
 そう考えたとき、泉のスマホが鳴った。SNSの通知が来たときになる音だ。なにかなと思って泉はスマホを見る。
「あ、プロデューサー、フォロワーが増えたよ」

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