見出し画像

みちのく潮風トレイル冒険録5:浦戸諸島めぐり(マリンゲート塩釜→野蒜駅→石巻駅)

 みちのく潮風トレイルは、どれくらいの人に歩かれているのだろうか。実家の両親に聞いてみたところ、コロナ禍以前はたまに大きなザックを背負ったハイカーの姿を実家付近のトレイルで見かけることがあったそうだ。コロナ禍がおさまったら、このトレイルに挑むために全国から、いや世界中からたくさんの人が訪れるようになればいいなと思う。

Day8:マリンゲート塩釜→野蒜駅

 2021年6月13日(日)
 さて、今回のコースは序盤のハイライトのひとつとも言える、船で浦戸諸島の島々を渡っていくコースだ。松島湾の湾口に位置する浦戸諸島には4つの有人島があるが、そのうち桂島→野々島→寒風沢島の3つをめぐり、最後に宮戸島へ渡っていくが、このうち寒風沢島から宮戸島の間は市営の渡船がないため、トレイルセンター経由でハイカー向けの渡船を事前に予約しておく必要がある(冬季運休)。船旅好きな私は、この区間を歩くことをとても楽しみにしていた。


 9:30塩竃港発の市営汽船に乗り、桂島へ向かう。汽船には子供連れが多く乗っていた。

画像4
画像5

 松崎神社の脇からトレッキングコースに入り歩いていくと、松島めぐりの遊覧船に乗ると必ずめぐる定番スポット、仁王島が向こうに見える。ぐるりと桂島を半周して石浜へ。石浜から野々島へは無料の渡船があるのだが、ちょうど市営汽船が来たので乗ってみた(渡船だと無料だが市営汽船に乗ると110円かかってしまう)。野々島の船着き場の周りは妙に小ざっぱりとしていて建物が少ないが、震災の爪痕ということだろう。

画像6

 野々島には浦戸諸島で唯一の小中学校がある。浦戸諸島の住民だけでなく、島の外からも生徒を集めているそうで、島外から通う生徒は市営汽船で通学しているらしい。その小中学校の脇にある「野々島学校下」船乗り場から、こじんまりとした無料の渡船で寒風沢島へ渡る。

画像7

 トレイルは寒風沢島を一周する。寒風沢島は日本人としてはじめて世界を一周した津太夫の出身地であることを解説する看板が建っている。

画像8
画像9
06.浦戸①

 予約していた寒風沢島から宮戸島までの渡船の時間まで港の岸壁に腰かけて時間をつぶしていると、渡船の船頭さんから電話が入る。港に現れた船は、ふだん漁業の作業に使っているであろう小さなボートで、船尾にみちのく潮風トレイルの旗が立っている。救命胴衣を身に着けてボートに乗り込む。ちょっと怖いが、松島湾は内海なので波は無い。

画像10

 船頭さんは野々島にお住いの牡蠣漁師さんだそうだ。急いでないならあちこち案内するけどどうだい、と言われ、お言葉に甘えることにする。牡蠣の養殖棚を見せてもらったり、岩をくりぬいた穴を船でくぐったり、たっぷりサービスしていただいて奥松島を満喫する。

画像11
画像12

 船頭さんは船を繰りながら、色々な話を聞かせてくれる。震災の時の経験、復興工事への想い、牡蠣漁はそろそろ引退しようと思っていること、など…。聴く方にとっても貴重なお話だが、船頭さんにとっても訪れる人に地元のことをあれこれ話すことが得難い経験になっているのだろうと思う。私は、ここまでの道のりはちょっとした思い付きと好奇心で歩いてきただけだったが、船頭さんはそんな私を「旅人」として扱ってくれ、旅をしている実感を得た。
 船頭さんのボートは塩竃市と東松島市の境を超え、宮戸島の「あおみな」に着く(たぶん、この区間に塩竃市営の渡船が無いのは、宮戸島だけ東松島市に属するからなのだろう)。宮戸島も有人の島だが、橋で本土に渡ることができる。野蒜付近のJR仙石線は津波で被災し内陸に移設しているが、旧野蒜駅は東松島市の震災復興伝承館となっている。電車の時間が迫っていたので復興伝承館の見学もそこそこに、移転した新しい野蒜駅から仙石線に乗って帰宅する。
 船旅で大いに冒険心を満たすことのできた一日だった。

07.浦戸②

Day9:石巻駅→野蒜駅

 2021年6月26日(土)
 仙台駅から乗り込んだ仙石東北ラインは特別快速で、野蒜駅は通過する。そこでこの区間は逆向きに、石巻駅から野蒜駅に向かって歩くこととする。序盤の北上川沿いの区間は工事で本線を辿ることができず、石巻の市街地を迷走し、北上川に沿って蛇行する本線をショートカットしてしまった。北上川沿いに建つ運河交流館という建物から北上運河沿いの道を歩いていくが、運河沿いもあちこちで工事をしていて歩きにくい。

画像13

 運河沿いにヨークベニマルがあったので、ここで昼食をとる。石巻工業港を横目に東松島市に入る。トレイル本線は北上運河沿いを進んでいくが、またしても本線を外れて海岸堤防の上を歩いていく。右手には、有名なブルーインパルスの本拠地である航空自衛隊松島基地が見えるが、この日は飛んでいる飛行機を見ることはできなかった。
 鳴瀬川河口には、明治期の大失敗プロジェクトとして知られる野蒜築港の跡がある。この場所に東北を代表する大港湾と都市を作ろうとしたがお雇い外国人による計画が甘く、台風であっという間に崩壊したらしい。

画像14
画像15

 鳴瀬川を渡って野蒜駅着。この日は28.25kmを5時間53分で歩いた。
 これで一区切り、石巻まで歩き切った。石巻から先の区間は踏破難易度が格段に高くなってくる。装備を整え、十分準備をして臨もう。

08.石巻→野蒜

 南側のセクションは↓

 北側のセクションは↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?