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みちのく潮風トレイル冒険録19:綾里崎に朝が降る(盛駅→甫嶺駅)

 予定では前回の旅で2022年の秋のトレイル歩きを終了にするつもりだったのだが、雨で予定の行程を歩くことができなかったのが悔しかったので、急遽予定を追加して歩くことにした。今回の冒険の舞台は、大船渡市の東部、旧三陸町にある綾里半島である。


Day29:盛駅→綾里郵便局

2022年10月31日(月)
 今回は、新幹線で新花巻駅まで行って釜石線に乗り換え、釜石駅からは三陸鉄道で盛駅まで南下するという行程で大船渡市へ向かった。盛駅よりしばらく進んだ、大船渡警察署に面した交差点が本日歩くトレイルの始点となる。
 大船渡市は、盛川の河口に深く切れ込んだ湾にある港を中心とした街である。その盛川を橋で渡るとなにやら線路が見えてくるが、これは岩手開発鉄道という貨物線の線路で、内陸にある鉱山から港に隣接した太平洋セメントの工場まで石灰石を運んでいるという。赤崎駅という看板が見えるが、これは岩手開発鉄道の貨物駅で、人が乗り降りすることができる駅ではない。

 貨物列車が運んできた石灰石を工場に運び入れるためのベルトコンベアが道路をまたいでいる。前回歩いた大船渡の漁港エリアとは異なり、このあたりはセメント工場の轟音が鳴り響き工業地帯の趣きがある。工場の脇を通り抜けてしばらく行くと、今度は三陸鉄道リアス線の陸前赤崎駅がある。

 陸前赤崎駅から、綾里峠の入り口まではすぐだ。峠の入り口には熊出没注意の看板がある。綾里峠は、ツキノワグマに遭遇する名所としてハイカーには知られているらしい。もちろん、対策として熊鈴は装備してきたが、看板を見るとやはり不安に駆られる。
 みちのく潮風トレイルのコース沿いでツキノワグマに遭遇する可能性があるのは、概ね気仙沼より北のコースだ(気仙沼以南の海岸沿いにはツキノワグマは生息していない)。生態学では、ツキノワグマはアンブレラ種に位置付けられる。アンブレラ種とは、生態系ピラミッドの頂点に位置し、生息するためには高い生物多様性が要求される種のことだ。ツキノワグマが生息するということは、それだけ豊かな自然が残されている証拠だと言えるだろう。

 熊鈴の音を響かせながら、杉木立の峠道を登っていく。綾里峠のピークは標高435mと結構な高さがあるが、旅を続けてきてだいぶ体力がついたようで、たいして苦労することもなくピークに到達した。女川の大六天山で悲鳴をあげていた頃の私とは違う。木立の合間から、大船渡の港が微かに見える。

 綾里峠は、旧大船渡市と旧三陸町の境界である(平成の大合併により現在はどちらも大船渡市となった)。旧三陸町は、南から綾里、越喜来、吉浜の3つの村から構成されるが、この3ヶ村に現在は釜石市の一部となっている唐丹村を加えた4ヶ村は、かつて奥四ヶ浜と総称される伊達藩の最果ての地であったという。綾里峠の道は、奥四ヶ浜へとつながる重要な交易路としての役割を果たしていた時代の雰囲気を色濃く残している。
 峠を下っていくと、不動滝への分岐を示す標識が立っているので、ちょいと寄り道をする。滝がいくつか連続する沢の奥に、不動尊のまつられているほこらがあり、厳かな雰囲気がある。

 綾里の町に入り、綾里郵便局の前で本日の行程を終える。綾里の市街地のお店で買い出しをして、綾里駅から三陸鉄道に乗り込み、今日の宿のある釜石に戻った。

 この日は、11.41kmを3時間11分で歩いた。

Day30:綾里郵便局→甫嶺駅

2022年11月1日(火)
 早朝、まだ暗い中を釜石駅からリアス線の盛行き始発に乗り、綾里駅で下車する。昨日の終点とした綾里郵便局から歩き始める。ここからは、綾里半島をぐるりと一周して綾里の町にもう一度戻ってくる道のりとなる。
 漁港のある田浜という集落から峠道に入る。地図を見る限りこの先の綾里半島に人の住む集落は存在しないようだ。シカよけネットをくぐりながら人の気配の無い道を歩いてぐんぐん標高を稼いでいく。

 綾里半島のピーク、立石山の標高を示す看板が木にかけられている。立石山からしばらく進むと展望広場の東屋がある。それにしても全く人の気配がしないが、トレイルの草刈りだけはきちんとされているので歩きやすい。

 地図上では、綾里崎の看板が立っている地点から岬の先端にある綾里崎灯台まで至る道が描かれているので、トレイル本線を外れて灯台まで寄り道することにする。

 だが、みちのく潮風トレイルを管理している人たちによる草刈りは、トレイル本線を外れると管轄外であるらしく、灯台へと向かう道は途端に草むらとなる。GPSを頼りに、地図上では道があることになっている場所をしばらく藪漕ぎしていくと突然視界が開け、朝日が差し込んでくる。
 東に向かって突き出した綾里崎の先端に建ち、行き交う船に大船渡湾の入り口を示す役目を担っている綾里崎灯台の大きな白い建物が、降り注ぐ朝日を浴びて輝いている。苦労して到達した甲斐のある、美しい景色に息を飲む。

 これまでトレイルを歩いてきて色々な灯台を見てきたが、この綾里崎灯台が恐らく今まで見てきた中で一番高さがあり規模の大きな灯台だろう。到達難易度の高さも含め、今まで歩いてきた中では雄勝半島の白銀崎と並んで強く印象に残る絶景だった。
 灯台のそばには、かつて灯台守が住む小屋が建っていたのであろう空地があり、その入り口に「綾里埼燈臺」という旧字の銘版が残されていた。

 灯台を後にして、綾里半島の北側の道を綾里の町まで歩いていき、三回目の綾里駅に立ち寄る。綾里駅前には、トレイルの見どころ看板とともに明治・昭和の三陸津波の記憶を伝える看板があるが、よく見るとこの看板には平成19年と記されている。つまりこの看板は東日本大震災の3年前に立てられたということになる。

 駅から少し歩いたところにも、明治の三陸津波の教訓を伝える石碑がある。これらの津波の伝承が東日本大震災での津波から人々を救うためにどれだけ役立ったのかは、何とも言えない。東日本大震災の際、綾里地区では30人ほどの方が亡くなったそうだ。過去の教訓のおかげでそれだけの被害で済んだ、と結論付けることは簡単だが、そう言い切ってしまうと亡くなられた方に申し訳ない気持ちもある。人の命というものは、単純に数字の大小で片づけられるような軽いものでは無い。

 白浜という集落から小石浜という集落まで、舗装された旧道で小さな峠を越えていく。旧道とはいえ、綾里半島のわくわくするような道を歩いてきた後だけに、舗装道を歩くのはちょっと退屈に感じてしまう。すると、そんな私の退屈を見透かしたかのように、オレンジ色に塗装された謎の石が路傍に置いてある。みちのく潮風トレイルとテプラが貼ってあるので、トレイルを歩く旅人に向けて置かれたものであろうとは思われるが、これは一体なんだろうか?

 道を進むと、同じテイストのオブジェクトがところどころに点在している。

 トレイルを歩く旅人を歓迎する意図で設置されたであろうことは何となく伝わってくるが…。これらの物体の謎を明かすのは、次回の冒険録までお待ちいただきたい。
 さて、小石浜の集落には三陸鉄道リアス線の恋し浜駅がある。この駅名はもちろんダジャレであり、2009年に元の小石浜駅という駅名から改称されたとのことだ。三陸鉄道はこの駅を恋愛の聖地として売り出していて、名産のホタテの貝殻を使った絵馬がホームに吊るされている。それにちなんで駅前のトレイル看板もピンク色だ。

 恋し浜駅で今日の行程を終える予定でいたのだが、帰りの汽車まで時間に余裕があったのでもう一駅足を延ばすことにして、甫嶺駅まで舗装路を歩き、2日にわたる冒険を終えた。甫嶺駅からは三陸鉄道で釜石駅まで戻り、仙台行きの高速バスで帰路についた。

 

 この日は、トレイル本線だけで23.67kmの道のりを、綾里崎灯台への寄り道を含めて6時間37分で歩いた。

 南側のセクションは↓

 北側のセクションは↓

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