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ふくしま浜街道トレイル冒険録1:勿来からはじめる新しい冒険(勿来→小名浜)

 ふくしま浜街道トレイルという新しいトレイルが2023年に正式に開通した。その名前のとおり福島県の浜通りを海岸線に沿って南北に縦断するトレイルで、みちのく潮風トレイルとは一部ルートを共有しており、兄弟分的な位置づけになっている。
 浜通りを南北に縦断する、と聞いて、多少なりとも福島県の地理をご存じの方であればこう思うのではないだろうか。
 「歩けるの?」
 そう、浜通りのちょうど真ん中付近には、あの発電所の事故によって避難指示区域に指定された地域がある。避難指示の解除がどこまで進んでいるのか、自由に立ち入れるようになった範囲はどこまでなのか、福島県出身の自分ですらよく把握できていないのだから、浜通りの現状を全く知らない県外の方からしたら、そんなところ歩いて大丈夫なのかと思われるのも当然だろう。
 だからこそ、歩いてやろう、と思った。今の浜通りを全部歩いて、地元の人間の目線から感じることを伝えたい、と思った。
 そういうわけなので、みちのく潮風トレイルと同様、歩いて感じたことをnoteに冒険録として綴っていこうと思う。ただし、特にあの爆発した発電所がらみの話題はインターネットではかなり扱いにくい。このnoteのコメント欄におかしなコメントを書き込まれても困る。だから、念のための自衛策として、あの発電所に関する話題はこのnoteではごく簡単に言及するにとどめようと思う。いずれ浜街道トレイルを完走した暁には、また同人誌としてまとめようと思っているので、インターネットに書きづらい思いは同人誌のほうに吐き出したいと思っている。
 ふくしま浜街道トレイルのキャッチコピーは、「ふくしまの、今を歩く」。復興がかなり進んできた宮城県や岩手県の被災地とは違い、未だ復興途上の旧避難指示区域の”今”は動的で、どんどん状況は変化していく。そんなふくしまの”今”を自分の足で歩き、自分の言葉で伝えていきたい。

Day1:勿来→小名浜

 2024年1月13日(土)
 ふくしま浜街道トレイルの南の起点である勿来(なこそ)海水浴場の最寄り駅は勿来駅だが、せっかくなので徒歩で県境を越えるところから始めようと思い、一駅隣、茨城県最北の駅である常磐線大津港駅からスタートする。
 大津港から北に歩き、平潟という漁港で海を見る。ありふれた漁港だが、ここは幕末に歴史の舞台となった。戊辰戦争の折、奥羽越列藩同盟攻撃のため組織された新政府軍のうち、海路からの侵攻を目指した軍が上陸した場所がここ平潟だ。平潟から上陸した新政府軍は浜街道を北上して相馬藩と仙台藩の国境まで侵攻した。その進軍の道筋は、これから歩くふくしま浜街道トレイルと重なるところがある。そんな歴史を持つ茨城県最北端の平潟港と福島県最南端の勿来漁港は、小さな切通しを隔てて背中合わせに向き合っている。この切通しは茨城県と福島県の県境でもある。

 勿来漁港の北、勿来海水浴場に立っている赤い鳥居が、ふくしま浜街道トレイルの正式な起点だ。みちのく潮風トレイルの起点と異なり、トレイルヘッドを示す標識などは特に無い。朝日に照らされる鳥居を背に歩き始める。さあ、ここからあたらしい旅の始まりだ。

 勿来(なこそ)の関、という言葉は聞いたことがある人が多いのではなかろうか。歌枕として多くの歌に詠まれているし、古文の授業で禁止の接辞「な~そ」の文例として登場した記憶もある。「来るな」という意味を持つ勿来の関は、白河の関、鼠ヶ関と並ぶ奥州の入り口の関所とされている。
 勿来の関跡は観光地となっており、「勿来の関文学館」という小さな博物館が建っている。展示の内容は、勿来の関を歌枕として詠んだ数々の和歌に関するものだ。勿来の関にまつわる和歌で一番有名なものは、源義家(八幡太郎義家)が詠んだ以下の歌だろう。

吹く風を 勿来の関と思へども 道もせに散る 山桜かな

源義家

 勿来の関跡には、源義家の銅像も立っている。

 実は、「勿来の関」がどこにあったのかは、はっきりとはわかっていない。白河の関(福島県と栃木県の県境)、鼠ヶ関(山形県と新潟県の県境)と並んで奥州の入り口の関とされていることから、福島県と茨城県の県境にその位置を推定するのは妥当な線ではあるが、この勿来の関跡公園に関があったという考古学的な証拠が発掘されているわけではない。多賀城にあったという説や遠江にあったという説もあり、はっきりしない。
 勿来の関が関所としての機能を果たしていた時期もそれほど長くはないようだ。源義家が生きた平安時代中期に勿来の関が関所としてまだ機能していたとも断言できない。源義家が訪れた「勿来の関」は本当はどこにあったのか、そもそも源義家は本当に勿来の関を訪れてこの歌を読んだのか、それすらもはっきりとしたことは言えない。
 まあ、正確な歴史的事実は今はあまり重要ではないのだろう。源義家が前九年の役、後三年の役で奥州を訪れたのは事実だし、仮に本当に勿来の関を訪れたわけではなかったとしても、きっと彼の人生にとって大きな転機となった奥州での出来事に思いを馳せてこの歌を残したのだろうし、その歌を通して後世に生きる我々が歴史に思いを馳せることができる、というだけでとてもロマンチックなことだ。
 余談だが、奥州藤原氏の盛衰を描いた1993年の大河ドラマ「炎立つ」で、源義家は佐藤浩市が演じていた。佐藤浩市といえば2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で上総広常を演じていたが、上総広常を殺すよう命じた源頼朝は、源義家の曾孫にあたる。

 歩みを進めよう。
 勿来から先は海岸沿いに進んでいく。ふくしま浜街道トレイルはできたばかりのトレイルなので、みちのく潮風トレイルと違ってトレイルの標識などはまだ整備が進んでいない。その変わり、「いわき七浜海道」というサイクリングロードの標識が立っている。ふくしま浜街道トレイルのいわき市内のルートは基本的にいわき七浜海道のルートと重なっているので、この標識をたどっていけば道に迷うことはない。サイクリングロードは舗装路だし、行き交う自転車は結構多いので、山道を歩くのがお好きな方には今一つな区間かもしれない。

 小名浜が近づいてくると、火力発電所などが立ち並ぶ工業地帯の趣になり、大型トラックが土煙をあげている。
 いわき市が、かつて炭鉱の街として知られていたことは多くの人がご存じのことだろう。エネルギー革命により炭鉱が閉山した後いわき市は産業の転換を図り、炭鉱から出る温泉を利用した温水プール「常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)」が多くの観光客を集めたことは映画「フラガール」でも描かれた。いわき市は観光だけでなく工業も盛んで、小名浜港の周辺は工業地帯となっている。夕張市のように炭鉱閉山後の産業転換に失敗した旧産炭地が多くある中、いわき市は小名浜港という港を有し首都圏からもそれほど遠くないという地の利を生かして工業・観光業を発展させ、今でも人口は東北地方で仙台市に次ぐ第二位の地位を郡山市と争っている。

 今日のゴールは水族館「アクアマリンふくしま」。ここの水族館は一般の水族館とはちょっと趣が異なり、自然や環境について観客に考えさせるような展示となっている。たとえば、入館してすぐのところにはユーラシアカワウソの展示がある。カワウソはその愛くるしい容姿で子供たちの人気者だが、その展示のそばには日本で最後に目撃された二ホンカワウソの個体、通称しんじょうくんの哀愁漂う写真が展示されていて、生物の絶滅について考えさせるよう工夫されている。
 ところで、福島県ではここ数年外来種であるアメリカミンクが急増していると聞く。二ホンカワウソもアメリカミンクも水辺にすみ魚や昆虫を捕食する共通した特つ。アメリカミンクの急増は、二ホンカワウソの絶滅で空席となった生態的地位にアメリカミンクが入り込んでいるとも考えることができる。アメリカミンクは特定外来種に指定されて駆除が行われているのだが、水辺にすむ哺乳類という生態系地位にアメリカミンクが治まることは、生態系全体にとっては悪いことではないのかもしれない。

 水族館付属のレストランで「ヘミングウェイのカジキ定食」で遅めの昼食とした後、アクアマリンに隣接するイオンモールの送迎バスに乗り、帰路に就いた。

 この日は、約19kmを5時間半で歩いた。

北側のセクションは↓

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