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みちのく潮風トレイル冒険録14:桜舞う気仙沼(本吉駅→鹿折唐桑駅)

 春の陽気に誘われ、前回に引き続き2週連続で週末のトレイル歩きに出かけることにした。折りしも東北は桜の季節、今回も天気に恵まれて気持ちのいい旅となった。

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JR気仙沼線柳津駅前に停車するBRTのバスと満開の桜

Day20:本吉駅→大谷まち駅

 2022年4月16日(土)
 JR気仙沼線BRTで前回の中断地点である本吉駅に降り立つ。駅の周辺は旧本吉町の中心市街地、津谷という名の集落になっている。トレイルは津谷の市街地の外周をぐるっとまわっていく。津谷は海岸線からは少し離れた集落だが、東日本大震災のこの集落まで津波が襲来したことを示す「波来の地」という石碑が立っている。津波は津谷川を遡って内陸部の津谷の集落を襲ったということだ。

 津谷の集落を離れ、BRT小金沢駅近くまでは海岸線のそばを歩いていく。ここからトレイルは海岸線沿いを離れ、内陸部に大きく迂回していく。大谷鉱山歴史資料館に立ち寄るためだ。
 大谷鉱山は明治から昭和にかけて栄えた金山で、現在は鉱山の跡地に気仙沼市立の資料館が建っている。日本で初めて金が発見されたのは天平21年(749年)のこと、現在の宮城県涌谷町が産出された場所だとされている。朝廷は金の献上を大いに喜び、元号を天平感宝に改めた。奥州から献上された金は東大寺の大仏に使われたという。その後、後三年の役で源義家の協力を得た藤原清衡が勝利したことで奥州藤原氏は奥州一帯の権力を掌握し、奥州で産出される金と日本海側の港を拠点にした大陸との交易に依って奥州藤原氏は繫栄した。中尊寺金色堂に代表される奥州藤原氏の文化が大陸に伝わり、マルコポーロの東方見聞録に記された「黄金の国ジパング」伝説の原型になったとも言われている。
 そんな歴史を持つ東北地方における産金の、最末期における姿が大谷鉱山である。大谷鉱山が閉山したのは昭和51年(1976年)のことだが、資料館には主に昭和の時代に使われた鉱山機械や文書が展示されている。係のおじいさんに付きっきりで解説していただきながらたっぷりと展示を見て周り、奈良時代から脈々と続いていた東北地方における産金の歴史の一端を堪能した。

 大谷鉱山から海岸線に向かってトレイルは下っていき、日門という名の漁港に出る。漁港からは、入り口がコンクリートで封鎖されたトンネルが見えるが、これは廃止されたJR気仙沼線のトンネルだ。

 気仙沼線柳津〜気仙沼間と大船渡線気仙沼〜盛間は、津波で被災した後JRは鉄道としての復旧を諦め、BRTとなった。BRTにはこの旅でも何度となく乗っている。BRTは線路の跡地をバス専用道路として整備してバスを走らせるというものだが、全ての線路跡地がバス専用道路になったわけではなく、この場所のように線路の跡地が放置されている場所もある。鉄道としての復旧を選択しなかったことについては賛否両論あろうが、BRTの運行本数は鉄道時代よりも増えているようで、この旅でもたびたびBRTの利便性の恩恵にあずかっている。
 海岸線に沿って進み、道の駅大谷海岸で休憩したのち、BRT大谷まち駅で今日の旅を終える。大谷まち駅は2022年の3月に新設されたばかりの新しい停留所で、ちょうどトレイルのルートとBRTが交差するポイントに停留所がある。ここからBRTに乗り込み、気仙沼駅前の本日の宿泊先へ向かった。

Day21:大谷まち駅→鹿折唐桑駅

 2022年4月17日(日)
 早朝、大谷まち駅でBRTを下車し旅を再開する。今日は気仙沼の市街地を目指して歩いていくことになる。トレイルは波路上という集落に入っていくが、この地域は震災の被害が大きかったところで、慰霊碑がその被害を静かに物語っている。この地区では旧気仙沼向洋高校の校舎が震災遺構として保存されているが、早朝なので中に入ることができない。外観のみの見学にとどめ、先を急ぐ。

 トレイルは波路上地区の先端に位置する岩井崎という岬に立ち寄る。岬の先端には潮吹き岩と呼ばれる岩があり、荒々しく打ち付ける波が豪快に吹き上がっている。

 波路上地区を離れ、国道45号を北に向かって歩いていく、今日は気仙沼市長選挙と気仙沼市議会議員選挙の公示日らしく、JR松岩駅付近では候補者が支持者を前に第一声を上げていた。

 気仙沼の中心市街地に向かって、海岸線を歩いていく。眼前には三陸自動車道の気仙沼湾横断大橋と、次回渡ることになる気仙沼大島大橋が見える。

 気仙沼の市街地に入り、魚市場に隣接している「気仙沼海の市」で軽食を食べ小休止する。気仙沼は2021年の朝ドラ「おかえりモネ」の舞台ということで、撮影に使われた小道具などが展示されているスペースもあった。私はこのドラマは見ていなかったが…。

 続いて、気仙沼市街地の後背にそびえる安波山に登る。安波山は標高239mの低山で、東日本大震災の際にロケで気仙沼を訪れていたサンドウィッチマンが避難した山として知られている。山頂からは、深く切れ込んだ気仙沼港、通称”内湾”が良く見える。桜も満開で美しい景色だが、震災の際気仙沼港周辺は大規模な火災に襲われたという。安波山に避難した人々が見た火災の光景はきっと恐ろしいものだっただろう。

 安波山から下山し、再び気仙沼の市街地に戻る。震災の被害の跡であろう空き地が点在する中に、コンビニやチェーン店がまばらにある風景を歩き、JR大船渡線BRT鹿折唐桑駅で2日間の行程を終える。

 乗り継ぎで立ち寄った気仙沼の駅前には、お久しぶりのトレイル見どころ看板が建っていた。

 次回は、気仙沼大島を一周する。

 南側のセクションは↓

 北側のセクションは↓

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