見出し画像

日帝が行った ”はげ山” 植林事業

「健全だった朝鮮の山林を日帝が乱伐したから”はげ山”が多かった」という韓国の主張は本当だろうか。当時の史料をまとめて解説いたします。

日本支配前の朝鮮山林の実態

朝鮮の林野の総面積は約1590万ヘクタールに達し、全土の7割3分を占める世界有数の森林大国であった。しかし下記の理由から朝鮮の森林は濫伐、暴伐を招き著しく荒廃していた[1]。

・禁止令など政治の不備
・人々の自由な伐採
・火田(特定の田畑を持たず、焼畑を行い各地を転々とする)
・植林意識の低さ

僅かに緑を残すのは鴨緑、豆満両江、陵園墓であり、当時の史料にはその有様を「はげ山荒野の起伏して満目荒涼を極め」と表現している[2]。


外国人の記録

日本の記録を紹介すると必ず「捏造だ」という意見が出るので、外国人が記録した著書もいくつかご紹介しよう。

なぜこの国がこれほど荒廃しているのかに対するここの人々の説明は、実に朝鮮的である。彼らの言葉によると、できるだけ外国人を落胆させるために沿岸部は荒廃させ、内陸では虎を追い出すために森を焼き払い、山はその頂上にある土壌が流れて来るように崩したのだそうだ。

ウィリアム・フランクリン・サンズ『極東回想記』

ソウル、海岸、条約港、幹線道路の周辺のはげ山は非常に目につき、国土に関してとても幸先のよくない予想をいだかせやすい。朝鮮南部の大部分において、木立という名に値するものが残っているとすれば、それは唯一、墓地のあるおかげである。

イザベラ・バード『朝鮮紀行』


日本による植林事業の始まり

以上のように朝鮮の林野は荒廃していたが造林や植樹には適した土地だった為、1907年(明治40年以降)国費によりソウル付近の著名地に造林を行った[3]。これを皮切りに種苗を民間に無料配布して東洋拓殖会社、釜山民団、三井合名会社なども協力して植林事業を行い、将来は自然の力を利用して天然造林によって治山治水を目指すことを目的とした[4][5]。1911年(明治44年)6月、朝鮮総督府は国土の保安、災害の防止、水源の涵養、公衆の衛生、魚つき保安林または風致地区を目的として『森林令』を発布する[6]。涵養とは水を自然に蓄えること、魚つき保安林とは森林に魚が集まることに由来し、それらに栄養やエサを供給する機能があると認められ保護の対象とされた。日本では10世紀の文献にもその記述がみられるほど、古くから森林の重要性を認識していた[7]。


植林する樹種の選定

朝鮮半島の気候、風土、成長速度、経済的観点から主に以下の樹木を選定する。単に植林して森を増やすだけではなく、燃料や建築資材として木材を売買したり、大量消費国である中国への輸出する狙いもあった[8]。

○造林が容易:ニセアカシヤ
○成長が早い:ニセアカシヤ、アカマツ、白楊樹類、クヌギ
○燃料:ニセアカシヤ、白楊樹類(マッチの軸)、クヌギ(良質な炭)、クリ
○土木、建築など:ニセアカシヤ、アカマツ、白楊樹類、クリ
○景観:白楊樹類
○紙:白楊樹類
○染料:クリ

朝鮮総督府 編纂『最近朝鮮事情要覧』,[朝鮮総督府],1912.3. pp.254-255


日本による苗圃・植林事業

官公事業の生産数だけではその需要に追い付かず、行政が民間の参入を後押しすることにより、大苗圃や苗木商なども参入し植林事業の追い風となった[9]。また造林補助金として1925年(大正14年)1938年(昭和13年)まで累計556万円交付している[10]。

○官公営苗圃:1910年(明治43年)では11か所、面積約61ヘクタールを設置。1932年(昭和7年)には311か所、面積約157万ヘクタール(東京ドーム33万6千個分)に達した。
○私営苗圃:1910年(明治43年)には生産数約504万本になり、1932年(昭和7年)には生産数2億4千万本(約48倍)に達した。
○恩賜金による苗圃事業:全羅北道 9、黄海道 3、平安南道 10、平安南道 14、江原道 3、咸鏡南道 5、計44か所。

『朝鮮の経済事情』,朝鮮総督府,1934. pp.123-124
朝鮮総督府 編纂『最近朝鮮事情要覧』,[朝鮮総督府],1912.3. p.259


1911年(明治44年)から自治体や学校において植林の手本や資金を得るため公営による植樹を行った[11]。

○公営植林事業:面積 13万5780ヘクタール(東京ドーム約3万個分) 播種 13万4360リットル 植栽 4億9137万本
○私営植林事業:面積 107万2500ヘクタール(東京ドーム約23万個分) 播種 42万9000リットル 植栽 34億3858万本
○記念植樹:1911年(明治44年)4月3日併合後第1回神武天皇祭日に朝鮮全道をあげて465万本の植樹を行った。以来第23回まで3億9400万本の植樹を行った。これらの費用は国費、地方費、恩賜金をあてた。

『朝鮮の経済事情』,朝鮮総督府,1934. pp.124-126


火田整理と火田民の指導

火田とは古来より森林を焼き払って乱雑に耕作し、栗、きび、稗、燕麥(オーツ麦)、じゃがいもなどを栽培して、土地がやせて荒廃してくれば別の土地でこれを繰り返す農法である。総督府は地方長官、営林廠長に取り締まりを指示し、1924年(大正13年)9月までに火田面積1万町歩、火田民6千戸あまりを整理した[12]。その際に国有林野を農耕地として供与したが、火田民は生来の怠け者なので農作業をほとんど要しない火田耕作に舞い戻る者が続出した(定着した時は当該農地をそのまま譲与した)[13]。1928年(昭和3年)火田整理を目的に火田調査委員会を設置してその対策を強化した[14]。

・森林の保護取締機関の拡充整備
・新規の冒耕を絶対禁忌とする
・既存の火田民については指導機関の配置
・農法の革新
・主副業の指導奨励、普及
・燃料消費の節約

『朝鮮の林業』,朝鮮総督府農林局,1934.6. p.70


日本は”はげ山”をフサフサにしたのか?

これを確認する一つの指標として「林野蓄積」というものがあります。例えば森林面積が増えても林野蓄積が減っていれば木の本数は減っていることを意味します。朝鮮総督府が記録したものをグラフにしたのが図表1になります。1933年~1935年で激減しその後は半分ほど回復しておりますが、なかなか順調に増えなかったことが分かります。

図表2では1933年~1935年に人口が急増しているので、これが林野蓄積を激減させた一番大きな理由だと思われます。人口が増えれば肥料、燃料、家、紙などあらゆる分野の需要が増えますからね。

その次の理由として考えられるのは造林面積の低下です。生活やインフラなどあらゆる場面で木材が必要になるので、どんどん植えないと供給に追い付きません。木材の依存度が高いこの時代ならなおさらです。図表3では1933年~1935年で確かに造林面積が減少していることが分かると思います。注目すべきは1938年以降は急激に上昇し、1942年には倍以上造林しているのにもかかわらず、森林蓄積は減少しているという事です。ハイペースに造林しても急激な需要増に追い付かなかったという事ですね。


図表1. 林野蓄積
朝鮮総督府 編『朝鮮総督府統計年報』昭和17年,朝鮮総督府,1944.3. p.70 より作成


図表2. 総人口
朝鮮総督府 編『朝鮮総督府統計年報』昭和17年,朝鮮総督府,1944.3. p.16 より作成


図表3. 造林
朝鮮総督府 編『朝鮮総督府統計年報』昭和17年,朝鮮総督府,1944.3. pp.73-74 より作成


林野蓄積が思うように増えないことについて総督府も以下のように説明しております。

立木地といえども植樹と伐採のバランスが崩れた結果、その林野蓄積は年々減少する傾向ある。しかも建築用材および燃料の需要は年々激増し、かつ鉄道枕木、電柱、橋梁用材、鉱業用の坑木、製紙原料木材等の需要もまた年々増加しており、将来の供給を考慮して努めて過剰な伐採を禁止して、森林保護と造林をメインに対策を講じる

『朝鮮総督府施政年報』昭和15年度,朝鮮総督府,1942. p.313より現代語訳

しかし総督府の対策もむなしく、オンドル用燃料や肥料にするために生枝や落ち葉、草木の根っこまでも乱伐されるなど人々の森林保護意識は遅々として改善しなかった[15][16]。


まとめ

・「健全だった朝鮮の山林を日帝が乱伐したから”はげ山”が多かった」は明らかに誤り
・朝鮮半島にはもともとはげ山が多かった(外国人の記録もあり)
・総督府は市民の意識改革、火田民の整理、造林事業などあらゆる対策を間断なく行った
・激増する人口とそれに伴う需要に供給が追い付くつくのがやっとであったというのが真実である


出典
[1]朝鮮総督府 編纂『最近朝鮮事情要覧』,[朝鮮総督府],1912.3. p.247
[2]同上
[3]朝鮮総督府 編纂『最近朝鮮事情要覧』,[朝鮮総督府],1912.3. p.253
[4]朝鮮総督府 編纂『最近朝鮮事情要覧』,[朝鮮総督府],1912.3. p.254
[5]『朝鮮の経済事情』,朝鮮総督府,1934. p.127
[6]朝鮮総督府 編纂『最近朝鮮事情要覧』,[朝鮮総督府],1912.3. p.247
[7]若菜博「里海と魚つき林」『日本水産學會誌』第79巻第6号、日本水産学会、2013.11.
[8]『朝鮮の経済事情』,朝鮮総督府,1934. pp.124-125
[9]『朝鮮の経済事情』,朝鮮総督府,1934. p.123
[10]朝鮮総督府 編『朝鮮事情』昭和15年版,朝鮮総督府,昭和14. p.233
[11]『朝鮮の経済事情』,朝鮮総督府,1934. pp.124-125
[12]『朝鮮の林業』,朝鮮総督府農林局,1934.6. p.69
[13]同上
[14]『朝鮮の林業』,朝鮮総督府農林局,1934.6. p.70
[15]『朝鮮の経済事情』,朝鮮総督府,1934. p.122
[16]『朝鮮の林業』,朝鮮總督府山林部,1929.8. pp.96-97


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?