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展覧会評 by N.N

商店街から一歩入ったところに位置するギャラリーaaploitのガラス張りの小さな空間に、通りすがる人はちらりと目線をくれている。目線の先に興味を惹かれ、気が付けば私はそのギャラリーに足を一歩踏み入れていた。

私の目を引いたのは、左手中央に飾られた小さな作品である。が、存在感は大きい。前に立つと、こちらを見る母娘の眼差しに引き寄せられ、娘のお気に入りであろう2つのぬいぐるみへと目が移る。「こちらを見る」と書いたが、母娘の顔に目鼻口ははっきりと確認できない。画面中央右奥に、娘に寄り添うように立つ母親の姿は、顔だけでなく、体もほとんど描かれておらず、ただ輪郭線だけでそれとわかる。しかし、十分に優しさが伝わる。娘の目もなんとなくそれとわかるが、大きなぬいぐるみの陰からこちらを見ている。中央やや左に陣取るスヌーピーと熊のぬいぐるみは静かに置かれ、女の子に遊んでもらうのを待っているかのようだ。この作品の背景は白い。白い背景に、ぬいぐるみと女の子、母親の輪郭が黒で描かれた「黒白」の作品である。白と黒の色が反対になっているのが面白い。モノクロなのに寂しくなく、黒いのに闇を感じない。昔の記憶を焼き直したかのような作品である。そう、この作品は絵画ではなく、写真である。ゼラチン・シルバー・プリントされた25.4×30.5㎝のこの写真は、紙ネガの素材感と表面の光沢が、柔らかさと輝きを同居させている。小さいけれど、存在感があって、ハッピーな作品である。
思わず近づいてしまったこの作品から距離を取り直して、あらためてギャラリー全体を見回す。左手の壁には作品が3点、先ほどと同じタイプの作品が手前にもうひとつ並んでいる。このふたつの作品の向かい側、右手の壁にはもう少し大きなサイズの、より抽象的な表現の作品が3つ並んで掛けられている。左側の作品に比べ、大きさの違いもあるだろうが、少し威圧感を感じる。モチーフはわからない。現像液が流れた跡だろうか、上から下に流れた白濁した痕跡が何本も残る黒地の作品である。液体が跳ねたような斑点の白さが際立ち、光のようにも見える。ひとつひとつの作品も白黒だが、左手に白、右手に黒、左右に向き合う作品は、その配置がギャラリー全体の白と黒を強調している。部屋の正面奥に2つ、左側奥にひとつ、3点の小さな写真は、より写真とわかる様子を残しつつ、まるで絵のようなふりをしている。これらの作品には短いテキストが添えられている。言葉が作品の解釈を導き、写真の持つ記憶と向き合うように仕向けてくる。入り口側を振り返ると、ガラス面に天井から床までに至る布が掛かっていた。光を通す軽やかな素材感のその作品は、展示で一番大きいが、最も柔らかく優しさを感じさせる。ギャラリーの空間の中央には、黒い灯篭が静かに佇む。灯篭から放たれる光の影は、静かに回転し、楽しげに室内を跳び回る。光の影は、壁の9つの作品と戯れ、ガラスと布を通り抜け、通りまで遊びに出ている。
ギャラリーの白い空間に配置される白と黒の作品。左右の作品は無言であるが互いの白と黒を引き立て、奥の黒い小さな写真たちが空間の奥行きを強調している。作品に添えられたテキストが与える作品の奥行きと呼応する配置である。中央の灯篭が空間全体をひとつにつなぎ、光の影はギャラリーの室内と表の通りをつないでいる。作品ひとつひとつの性格と展示が呼応し、かつホワイトキューブ内と外の空間が呼応する今回の展示は、ギャラリーに足を踏み入れた私を十分に楽しませてくれるものであった。白と黒という2つの色で、カラフルな空間を作り上げていた。

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